
バルセロナで、ガウディ建築群に次いで二つ目の世界遺産となっているサン・パウ病院。
「病院が世界遺産」という珍しさに加え、サグラダ・ファミリアから徒歩圏内という立地ながら、訪れる観光客は比較的少なく、今でも穴場的な存在となっています。
ここでは、モデルニスモ建築としての魅力はもちろん、なぜ病院がここまで美しく作られたのかも含めて、サン・パウ病院の魅力を詳しく解説していきます。
概要
歴史
サン・パウ病院(Hospital de Sant Pau)の正式名称は、「サンタ・クレウ・イ・サン・パウ病院」。
その起源は非常に古く、1401年まで遡ります。長い歴史の中で、現在のようなバルセロナ屈指の大病院となるきっかけとなったのが、1900年代初頭に小規模な6つの病院が統合されたことでした。
産業革命以降、バルセロナでは人口が急増。それまでの病院施設では対応しきれなくなっていきます。そんな中、資金面で病院を支えたのが、銀行家であり富豪、そして慈善家でもあったパウ・ジルでした。
彼の巨額寄付を元に、1902年から新病院の建設が始まります。
ここで目指されたのは、単なる治療施設ではありません。「病に苦しむ患者や、その家族の心まで癒す病院」という、それまでに無かった新しい思想でした。
その理想に応えるべく設計を担当したのが、建築家リュイス・ドメネク・イ・ムンタネーです。
建設途中には様々な問題もあり、工事は当初予定より大きく遅れましたが、着工から28年後の1930年についに完成。その後、2009年に老朽化で閉鎖されるまで、約80年間に渡って実際の病院として使用され続けました。
なお、このサン・パウ病院は、同じくムンタネー設計による「カタルーニャ音楽堂」と共に、1997年に世界遺産へ登録されています。
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【リュイス・ドメネク・イ・ムンタネー】 カタルーニャを代表する建築家で、当時はガウディよりも人気があったと言われる巨匠。 |
| 世界遺産のこの「サン・パウ病院」「カタルーニャ音楽堂」を初めとして数々のモデルニスモ建築を現在に残しました。また、バルセロナ建築学校の教授時代、教え子の一人にガウディがいました。 | |
サグラダファミリアの12倍の規模

サン・パウ・モデルニスム区域と呼ばれる病院施設は、一辺およそ400メートル弱。
外周は約1.6キロにも及び、徒歩で一周すると20分近く掛かる広大な敷地を誇ります。ちなみに、サグラダ・ファミリアの敷地一辺は約113メートル。
単純比較すると、その総面積はサグラダ・ファミリアのおよそ12.5倍にもなります。
また、「病院建築」と聞くと、多くの人は無機質で機能優先の建物を想像するかもしれません。しかし、ここに建ち並ぶレンガ造りのモデルニスモ建築群は、そうした病院のイメージを覆すほど華麗で創造的な空間となっています。
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【碁盤の目の街】 バルセロナの新市街は上空からみると綺麗に碁盤の目になっています。詳しく見ると一辺が113mの正方形を一区画とした集合体。 |
| それは、まるでLEGOの組み立てブロックが延々と続く様は正に壮観です。飛行機でバルセロナに着く際、着陸コースにもよりますが、通常なら機首の右側の席の窓から見ることが出来ます。 | |
斜め45度に建つ大病院

この病院には、バルセロナの他地域ではあまり見られない特徴があります。
それは、周囲のEixample(アシャンプラ)地区が正方形ブロックによる直角格子で構成されているのに対し、サン・パウ病院だけが45度斜め方向に向きを変えて設計されていることです。
では、なぜわざわざそんな配置にしたのでしょうか?
理由は、19〜20世紀初頭における病院最大の課題が「衛生」と「伝染病対策」だったからです。病棟の入口を南北方向へ向けることで、海から吹く風を建物内へ通しやすくし、自然換気を促進。さらに同時に、太陽光も効率良く取り入れられるよう工夫されていました。
つまり、この斜め配置は単なるデザインではなく、当時最先端だった医療・衛生思想を反映したものだったのです。
サグラダファミリアから眺む

これは、「新鮮な空気と日光こそが、患者と医師双方にとって最も重要である」という、ムンタネーの思想によるものでした。
既に述べた通り、当時の医療最大の課題は伝染病対策です。そのため、海側病棟には比較的感染力の低い患者を、丘側病棟には感染力の高い患者を配置することで、風による感染拡大を防ごうとしていました。
さらにムンタネーは、病院へ海風がスムーズに流れ込むことを非常に重視します。その結果、風を遮らないよう病院から斜め45度方向へ道路が延長されることになりました。
そして作られたのが、現在サグラダ・ファミリアまで一直線に続く「アベニーダ・ガウディ通り」です。

写真を見ると分かるように、現在ではサグラダ・ファミリアからサン・パウ病院までの通り沿いには、びっしりと住宅が建ち並んでいます。
しかし、一直線に貫かれたアベニーダ・ガウディ通りによって、現在でも新鮮な空気と日光が周囲の建物に遮られず病院へ取り込まれる構造になっています。
また、サグラダ・ファミリア教会が象徴する「慈悲」と「愛」。それが病院の先に静かに佇むことで、患者達にとって理想的な精神空間が完成すると当時は考えられていました。
つまり、この一本道は単なる都市道路ではなく、「身体の治療」と「心の救済」を結びつける意味も持っていたのです。
資金難に喘いだ建設

ムンタネーの当初計画では、145,000平方メートルの敷地内に48棟もの医療施設が配置される予定でした。
さらに、それら全てを患者移動用の地下通路で接続し、病院全体を一つの「病院都市」として機能させる構想だったのです。しかし、銀行家パウ・ジルの莫大な遺産も、1911年には土地取得費や過剰とも言える豪華装飾によって底を尽きてしまいます。
結局、この第一工期で完成したのはわずか10棟のみ。
ただし、現在私達が見学している建物群は、まさにこの時代に建てられた、最も芸術性が高く装飾に凝ったモデルニスモ建築なのです。その後、1914年には現在一般公開されている「聖ラファエル病棟」など第二工期の建設が再開されます。
しかし4年後には再び資金難で工事停止。さらに1921年、今度はバルセロナ市の支援によって建設が再開されますが、この頃には監修はムンタネーの息子ペレへ引き継がれていました。
こうして予算削減の影響を受けた第二工期の建物群は、最初の10棟に比べるとかなり簡素な造りとなっていきます。
そして最終的に1930年、管理棟を含む全28棟から成る巨大病院都市として、サン・パウ病院はようやく完成を迎えました。
ムンタネーの当初の計画では、145,000平米の土地に48棟の医療施設が配置され、その全てが患者を保護するために地下通路で繋がる予定でした。
しかし、銀行家ジルの莫大な遺産も1911年には土地の取得や、過剰な装飾に全て費やされてしまい底を尽きます。結局それまでに建てられた建物はわずか10棟のみですが、それらが最も芸術的で意匠に凝ったモデルニスモ建築で私達が見るべきものとなっています。
尚、資金が尽きた後1914年には現在一般公開されている聖ラファエル病棟などの建設が再開されるものの、4年後に工事はまたもや停止。その後1921年にバルセロナ市の後援により工事が再開しますが、監修はムンタネーの息子のペレにバトンタッチ。
この予算削減に見舞われた第二工期の建築物は、最初の10棟よりもずっと質素になり最終的には1930年、管理事務分館を含む28棟を擁する病院都市として、サン・パウ病院がやっと完成に至ります。
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【Pau Gil Serra パウ・ジル・セラ】1816年にバルセロナに生まれ、17歳にしてパリに移り住んだあと、銀行並びに鉱山経営で巨万の富築きます。 |
| その62年の生涯をパリ過ごしましたが、敬虔なキリスト教徒でもあった彼は生まれ故郷のバルセロナ貧民の為に財産を注ぎこんで病院建設に没頭しました。 | |
見学スタート
ここからは、見学ルートにある見どころをポイント毎に解説していきます。
入場口(受付)

サン・パウ病院の見学は、まず正面に見える管理事務分館右手の受付へ向かい、そこでチケットを購入します。
サグラダ・ファミリアなどとは違い、基本的に当日券が完売することはほとんどありませんので、事前予約の必要はありません。
また、追加料金で日本語オーディオガイドを借りることもできます。
4棟が中の見学可能

見学に際しては、まず予約済みの方はそのままセキュリティチェックへ向かいます。
当日券を購入する方は、受付カウンターでチケットを購入後、セキュリティチェックを受けます。チェックを抜けた後は自由見学となりますが、回り方はそれほど難しくありません。
最初の「聖サルバドール別館」から反時計回りに進み、入場可能な4つの建物を順番に見学していく形になります。
また、その途中にある中庭や後方の修道女宿舎なども、外側から見ることができます。なお、地図内で青く囲まれた建物が内部見学可能エリアです。
ただし、修復工事は常時行われているため、時期によっては一部閉鎖されている建物もあります。
それでは、セキュリティチェックを抜けた後の見どころを順番に解説していきます。
多柱式ホール

セキュリティチェックを抜け、最初に足を踏み入れる見学スポットが、この「多柱式ホール」です。
ここは、正面入口にある「管理事務別館」の地下部分にあたる場所で、サン・パウ病院が実際に病院として機能していた頃は、救急サービスエリアとして使われていました。ちなみに、見学最初の空間が地下になっているのには理由があります。
サン・パウ病院の敷地全体が、奥から手前へ向かって緩やかに傾斜しているため、その地形に合わせて建物が作られているからです。この後、地上へ出ると分かりますが、どの建物にも半地下部分が存在しています。
また、バルセロナ市内を観光中によく注意して歩いてみると、多くの建物が同じように半地下構造になっていることに気付くはずです。これは、街全体が微妙な傾斜地の上に広がっているためです。
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地下通路

「多柱式ホール」を抜けて進むと、真っ白な壁と天井に囲まれた地下通路へ出ます。
サン・パウ病院では、広大な敷地内に複数の病棟が点在していたため、それぞれの建物は全てこの地下通路で繋がれていました。医師や看護師など医療関係者はもちろん、入院患者もこの通路を利用して各病棟間を移動していました。
特に冬場、患者達が寒さや雨を気にせず手術棟や病棟へ移動できたことは、当時としては非常に先進的な設計だったと言われています。また、この地下通路で興味深いのが照明です。
実は電灯だけに頼るのではなく、天井に並ぶ小さな丸窓から自然光を取り込む工夫がなされています。
ここにも、「光と空気」を重視したサン・パウ病院らしい思想を見ることができます。ちなみに現在、見学者向けに地下通路の壁面には医師や患者の映像が投影されています。
少し不気味にも感じますが、ここでは実際に病院として使われていた当時の様子をイメージしながら歩いてみてください。
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【電気の普及の過渡期】 建設当時の電気の普及率はまだバルセロナ市全体の10%にも満たず、電気の安定した供給も出来ませんでした。 |
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| その為に自然光を採り入れる設計は当時としては必要不可欠でした。あのガウディも自身の作品カサ・ミラ、カサ・バトリョにおいて徹底的に建物内への採光にこだわったのも同じ理由からでした。
ちなみにレイアール広場にあるガウディ作の街灯(写真左)は炎を直接、光として利用する電気普及以前のガス灯でした。 |
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展示と映像ルーム

地下通路を抜けると、次は展示室と映像ルームがあります。
ここでは、サン・パウ病院建設当時の様子などを映像で見ることができます。また、病院で実際に使われていた医療器具や薬瓶なども展示されています。
ただし、展示内容自体はそこまで強烈に面白いものではありませんので、ここは軽く見学する程度で十分でしょう。
病棟群1
聖サルバドール分館

次に訪れるのが、かつて病棟として使われていた「聖サルバドール分館」です。
1916年、サン・パウ病院開業時に最初に使用された病棟で、後にはICU(集中治療室)としても利用されていました。
ここでも先ほどと同様に病院の歴史展示を見ることができます。ただ、展示の中心となっているのは、病院建設を担当した建築家リュイス・ドメネク・イ・ムンタネーの作品紹介です。
例えば、彼の代表作である「カタルーニャ音楽堂」など、モデルニスモ建築家としての軌跡についてもここで学ぶことができます。
聖サルバドール分館の外観

数多くある病棟ですが、基本構造はどれもほぼ共通しています。まず入口左側には診察室などの医療スペース。その反対側には、患者達のための談話室が配置されていました。
そして奥に続く最も広い空間に、入院患者用のベッドが並べられていたのです。また、建物上部にある尖塔ドーム内部は貯水タンクとなっていました。つまり、サン・パウ病院では単に患者を収容するだけではなく、
- 医療
- 生活
- 水
- 光
- 空気
までを含め、一つの小さな都市のように病棟が設計されていたことが分かります。
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【天井崩落事故】 2004年に老朽化により談話室のドームが落下し、更に床を突き抜け地下室まで落ちると言う事故が発生しました。 |
| 幸運にも居合わせた患者が部屋の壁、窓に添って椅子を並べ円形状に座っていたため死者こそでませんでしたが16人が負傷、21人が救急隊で治療を受けます。この事件が新病院への移転を急ぐきっかけともなりました。これは装飾デザイン重視の建物だった故に、耐用年数が通常より短くなっていたためとも言われます。 | |
癒しの中庭

地下回廊から階段を上り地上へ出ると、そこには病院中央の中庭が広がっています。
長さ約500メートル、幅50メートルにも及ぶこの空間には、太陽の光がたっぷりと降り注ぎ、オレンジの木々が植えられていました。ここは単なる中庭ではなく、
- 医療スタッフの休息
- 患者達の散歩
- 見舞いに訪れた家族との時間
など、病院生活の中で少しでも心が安らぐよう設計された場所でした。ちなみに、この中庭を挟んで左側が女性病棟、右側が男性病棟となっていました。
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【オレンジの樹】 訪れた日本人によく聞かれるのが病院内に植わっているオレンジの樹の実について。スペインでは街路樹としてもよく街角でみられます。 |
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| ただ、ここの樹は甘みが無いばかりか苦く以前は病院内でマーマレードを作ったりもしたそうですが、現在は全て廃棄されています。オレンジの葉っぱをよく見ると葉っぱの根元が二重になっていて、これが街路樹、苦いオレンジの特徴です。オレンジはその昔、アラブ人がイベリア半島へ持ち込んだもので、もともとはハーレムに植えて香りを楽しんだり、鑑賞用とされていました。 | ||
病院に悪魔?

サン・パウ病院の建物で注目したいものの一つが、病棟上部に並ぶ「ガーゴイル」と呼ばれる奇怪な彫刻です。口を大きく開け、屋根や壁から突き出る悪魔や不気味な爬虫類達。その異様な姿は、とても病院建築には似つかわしくないようにも見えます。
しかし、実はこれらにはきちんとした役割と意味がありました。
ガーゴイルとは..

まず「ガーゴイル」とは何か?
これは西洋建築で屋根に設置される、怪物の姿をした雨樋彫刻のことを指します。雨が降ると、屋根から流れてきた水が最後に怪物の口から吐き出されるよう設計されています。では、なぜわざわざ雨樋を怪物の姿にしたのでしょうか?
諸説ありますが、大きな意味としては「魔除け」です。
日本で言えば、屋根の鬼瓦や、沖縄の民家で見かけるシーサーに近い存在と言えるでしょう。例えば、バルセロナのカテドラルやサグラダ・ファミリア外壁に並ぶガーゴイルには、「聖なる教会へ悪魔が侵入するのを防ぐ」という意味があります。
同じように、サン・パウ病院病棟の屋根に並ぶ不気味な怪物達も、病に苦しむ患者のもとへ悪魔や死神が入り込むのを防ぐ役割を担っていました。さらにガーゴイルには、魔除け以外にももう一つ意味があります。
それは、怪物のお尻側から入った雨水が体内を通り、最後に口から吐き出されることで、身体の中の悪い気や病を外へ流し出すという「浄化」の考え方です。つまり、見た目は不気味ですが、実は非常に縁起の良い存在でもあったのです。
ちなみに、後で触れる近代的な新病院には、このようなガーゴイルは使われていません。
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【カテドラル】★★★★☆ バルセロナで最も格式高い大聖堂は市民の心の故郷と言える教会です。 |
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【サグラダ・ファミリア】★★★★★ 言わずと知れたバルセロナもっとも人気の高い観光スポットと言えば…. |
病棟群2
聖レオポルド分館

建物は全てレンガ造りで、建設当時流行していた「ムデハル様式」が取り入れられています。
これは、イスラム建築とキリスト教建築が融合したスペイン独特の建築様式です。この様式はバルセロナ市内でも数多く見ることができますが、代表的なものとしてはスペイン広場に建つ旧闘牛場「ラス・アレナス」が有名です。
また、ガウディ初期作品の「カサ・ビセンス」にも、その影響が色濃く見られます。さらに、既に述べたように、バルセロナの街全体は山側から海へ向かってわずかに傾斜しています。そのため、サン・パウ病院では各病棟の下部を半地下構造とし、建物全体の高さが視覚的に揃って見えるよう工夫されていました。
ムデハル様式
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| 旧アレナス闘牛場 | カサ・ビセンス |
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| サン・パウ病院の天井 | アルハンブラ宮殿天井 |
ムデハル様式とは何でしょうか?
これは、中世約700年に渡りイベリア半島を支配していたイスラム勢力が、キリスト教勢力による国土回復運動「レコンキスタ」によって追われた後も、スペイン国内に残ったイスラム教徒(ムデハル)達の建築文化と、ヨーロッパのキリスト教建築様式が融合して生まれた建築様式のことを指します。その特徴は、壁面に施された複雑な幾何学模様。主な材料として、
- レンガ
- タイル
- 石膏彫刻
- 木彫り
などが使われ、非常に精巧な装飾が施されています。サン・パウ病院でも、レンガ造りだけでなく、天井装飾などにはアルハンブラ宮殿を思わせるエキゾチックな雰囲気を見ることができます。
一見すると西洋建築なのですが、フランスやドイツなど他のヨーロッパ建築とはどこか違う。その独特の異質感こそが、ムデハル様式の大きな特徴です。また、モデルニスモ時代の建築家達は、「これまでに無い新しい建築」を模索する中で、逆に一度は古くなった過去の建築様式へ再び注目するようになります。
その結果、ムデハル様式やゴシック様式が再評価され、積極的に取り入れられるようになりました。実際、ガウディでさえ初期作品「カサ・ビセンス」では、ムデハル様式の影響を強く受けています。
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【ラス・アレナス ショッピングモール】 1977年6月の闘牛を最後に長らく閉鎖されていましたが 2011年… |
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【カサ・ビセンス】★★★☆☆ ガウデイの初期の作品で他との違いは、直線的な構造を多用した物で.… |
聖ラファエル分館
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| 病棟の内部が見学できます | ピンクの可愛いタイルが |
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当時の病棟内部をほぼそのまま再現しているのが、この「聖ラファエル分館」です。薄緑色を基調としたタイル装飾の空間には、ベッドや当時使用されていたオイルヒーターが置かれ、約100年前、1920年代の病室の様子を見ることができます。
ところで、ここで無造作に並べられた複数のベッドを見ると、「患者のプライバシーは大丈夫だったのか?」と思うかもしれません。しかし実際には、大きなアーチ空間がカーテンで区切られ、それぞれの患者のプライバシーはある程度守られていました。
また館内には、当時実際に使われていた手術器具や、最新医療機器だったレントゲン装置なども展示されています。
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【X線の歴史】当時のサン・パウ病院で使われていた最新の医療機器、木製のレントゲンですがサン・パウ病院の建設が始まる僅か10年前1895年。 |
| ドイツのレントゲン博士が陰極線(電子線)の研究を行っていたところ、放電管から少し離れたスクリーンが光っていることを発見し、更に放電管とスクリーンの間に物体を入れるとスクリーンに物体の影が写ることがわかりこれがX線の発見となります。
この功績により第一回ノーベル物理学賞がレントゲン博士に授与されました。 |
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聖マヌエル分館
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| この棟は半地下の上に2階と最もノッポな建物です | |
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| ドームの横の尖塔は全て陶器製 | 塔の上には中国寺院 |
左右に並ぶ病棟群の一番奥に建つのが、この「聖マヌエル分館」です。※内部は現在公開されていません。ところで、この建物が今まで見てきた「聖サルバドール」「聖レオポルド」「聖ラファエル」と少し違うことに気付きましたか?
まず一つ目は、ここだけが2階建てになっていること。そしてもう一つが、各病棟の塔上部にある独特の装飾です。よく見ると、中国寺院を思わせるようなオブジェが載せられています。これは当時流行していた東洋趣味の影響によるもので、同時代のモデルニスモ建築にもよく見られる特徴です。
また、この建物は銀行家パウ・ジルの寄付ではなく、市民からの寄付によって建設された病棟でもあります。
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【病棟の聖人名】 キリスト教世界では一昔前までは、教会以外にも学校や病院など色々な施設や、地名などに聖人の名前が付けられました。 |
| しかし、現在ヨーロッパはどの国も宗教分離がなされていて、例えばこの後に紹介しますがサンパウ病院の裏に出来た「新サン・パウ病院」の病棟には聖人の名前は一切無く、日本と何ら変わらないA棟B棟と言う感じで素っ気ないものです。ちなみに、スペイン人の信仰心も現在は非常に希薄なもので、これも日本となんら変わりません。 | |
修道女の宿舎
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| 当時、病院で非常に重要な役割を担っていた修道女たちの宿舎 |
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| 生体検査室で働く修道女 | 調理場で働く修道女 |
左右に並ぶ病棟群の一番奥に建つのが、修道女宿舎です。※内部は現在公開されていません。また、その隣には薬局や調理場も配置されていました。
ところで、日本人の中には、「なぜ病院に修道女の宿舎があるのか?」と不思議に思う人も多いかもしれません。理由は、19世紀頃までヨーロッパには現在のような「看護師」という職業が存在していなかったからです。
その代わりとして、病人の世話を担っていたのが修道女達でした。そもそも昔は、日本を含め世界中どこでも、病人の看護は家族や身内が行うのが当たり前。現在のように、専門知識を持った医療従事者が対価を得て他人を看護する、という考え方自体がまだ一般的ではなかったのです。
Hospitalの語源

なぜ修道女達が病人看護を担うようになったのでしょうか?
その背景には、「異邦人・巡礼者・貧しい人々をもてなす」という、キリスト教における宗教的精神があったと言われています。
実際、現在の「病院」を意味する Hospital の語源も、「もてなし」を意味する Hospitality と同じ語源から来ています。つまり本来の病院とは、単なる治療施設ではなく、「弱った人を受け入れ支える場所」という意味合いを持っていたわけです。
なお、この修道女宿舎に向かって左側に並ぶ病棟(地図の③⑤⑦⑨)は内部見学できません。ただし、既に見学した病棟と基本構造はほぼ同じですので、ここでの解説は省略し次の手術棟へ向かいます。
中庭の中心の手術棟
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| 教会の様な手術棟は2009年まで実際に使われていました。 | |
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| 後方へ回ると一面ガラス張り | 光を最大限に取り入れるため |
中庭中央に建つ建物が、この病院の「手術棟」です。その外観、特に正面ファサードは、まるで教会と見間違うほど豪華な造りとなっています。屋根最上部には両手を広げた天使像。さらに、口を開け翼を持つドラゴンや、同じく翼を持つライオンなど、様々な彫刻によって装飾されています。
おそらく、これほど宗教建築のような手術棟を持つ病院は、世界でもここくらいでしょう。
既に述べた通り、この建物は病院内でも特に「光」が重視された場所でした。当時はまだ電気普及の過渡期でもあり、手術には自然光が非常に重要だったため、最も光が入りやすいよう病院敷地のほぼ中央に配置されています。
更に見ていくと..
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ファサード上部には、青を基調とした美しいタイル装飾が見えます。
そこには幾つもの名前が刻まれていますが、一見するとヨーロッパでよく見かけるキリスト教聖人の名前のようにも見えます。しかし実際には、ここに記されているのは、病院創設当時に中心的役割を果たした医師達の名前です。
また、サン・パウ病院を訪れた多くの見学者が驚くのが、手術室の大きな窓。光を取り入れるため非常に大きく作られているため、「手術中、中が外から丸見えだったのでは?」と思ってしまいます。
しかし実際には二重窓構造となっており、外側は曇りガラスで覆われていたため、外から内部は見えないよう工夫されていました。さらに、窓沿いに設けられた一段高い通路部分は、研修医達の見学スペースとして使われていました。
管理事務分館
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| 管理事務分館を中庭から | 棟の側面を飾るモザイク画 |
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サン・パウ病院の一般公開されている4館の中で、最も見どころが多いのがこの「管理事務分館」です。
館内へ一歩足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのが、ピンク色を基調とした優しいパステルカラーの玄関ホール。9つのドームが連なる天井のタイル装飾と、それを支える大理石の柱が、まるで童話の世界のような空間を作り出しています。
ただ、一見すると病院には似つかわしくないこのメルヘンチックな空間も、実はムンタネーによって計算された演出でした。
サン・パウ病院を訪れる患者や家族は、まず巨大病院の威厳ある外観に緊張します。しかし館内へ入った瞬間、その空気は一変。この柔らかなピンク色の空間が、患者や付き添いの家族達の不安や緊張を和らげる役割を果たしていたのです。
【文字と印の意味】

円柱とドームの間に書かれている文字や、印には意味があります。
①【A1905】工事をスタートした年
②【1910Ω】工事の終了年
③カタルーニャの旗
④バルセロナ市の旗
⑤カタルーニャの守護聖人サン・ジョルデイの旗
⑥【GIL】病院建設の資金を出したPau Gil の姓名を表しています。
【文字 A、Ωの意味】
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| サグラダ・ファミリア | コロニア・グエル教会 |
【Α(アルファ)】と【Ω(オメガ)】は、ギリシャ文字の最初と最後の文字です。英語で言えば「AとZ」。日本語なら「あ」と「ん」にあたり、「始まり」と「終わり」を意味しています。
さらにキリスト教では、「生から死まで全てを司る永遠の存在」としてのキリストを象徴する記号でもあります。現在と比べ、当時の人々は信仰心が非常に強かったため、こうした宗教的意味合いも込められていました。
ちなみに、左写真にあるガウディ作品の中にも同じ【Α・Ω】を見ることができます。
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【サグラダ・ファミリア】★★★★★ 言わずと知れたバルセロナもっとも人気の高い観光スポットと言えば…. |
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【コロニア・グエル教会】★★★☆☆ ガウディ好きの人に一番人気の建築物は、実はサグラダ・ファミリアじゃなくこの…. |
自然美と幾何学の廊下
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| 一階の回廊入り口 | 天井に敷き詰められたタイル |
一階右手の階段を上ると、新しく整備された講堂へ続く廊下があります。
窓には美しいステンドグラスがはめ込まれ、そこを通して差し込む柔らかな光が空間全体を包み込みます。また、ガラス自体も現在の均一な工業製品とは違い、手作業で作られたようなわずかな起伏があり、その揺らぐ光に独特の暖かみが感じられます。
さらに、この廊下の先にも見どころがあります。
講堂

サン・パウ病院メインオフィスである「管理事務分館」の廊下は、左右それぞれ別の建物へと続いています。そして、その両端には講堂が設けられており、正面から見て左側が「Pau Gil 講堂」。右側が「Francesc Cambó 講堂」です。どちらも一階から二階まで吹き抜け構造となっています。
下部空間は現在、会議室として現代風に改装されていますが、二階部分に残るアーチ梁や窓、天井装飾は管理事務分館最大の見どころの一つと言えるでしょう。
特に「Francesc Cambó 講堂」の天井モザイクは、まるでグラナダのアルハンブラ宮殿を思わせるような異国情緒に溢れています。
ここを見ると、当時いかにムデハル様式が流行していたかがよく分かります。ちなみに現在、これらの講堂は観光客向け公開だけでなく、レンタルスペースとしても利用されています。
階段と吹き抜け
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| 宮殿をイメージさせる階段 | 天井のステンドグラス |
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宮殿を思わせる二階への大階段。その脇には繊細なレリーフが施され、さらに各ステップ部分にまで装飾タイルが使われています。また壁面には、最大の後援者であったパウ・ジルのイニシャル【P】【G】、そして十字架の装飾を見ることができます。
吹き抜けとなった階段空間を見上げると、建物最上部の屋根近くには、ムンタネーのもう一つの世界遺産「カタルーニャ音楽堂」を彷彿とさせるステンドグラスが広がっています。その姿はまるで万華鏡のようで、思わず目を奪われます。
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【カタルーニャ音楽堂】 過剰装飾の極みと言われるムンタネーの最高傑作にして世界遺産を徹底解説! |
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【ガイドツアーVSコンサートどっちがお勧め】ツアーに参加せずともコンサートへ行けば一石二鳥って本当?徹底比較検証しました! |
イスラムとカトリック
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| アーチの奥にいるキリスト | 病院に礼拝堂の部屋 |
建築専門家の間で、サン・パウ病院の中でも最高傑作と言われているのが、この礼拝堂です。ここには、建築家ムンタネーが持つ建築技法の全てが凝縮されているとも言われています。部屋へ入ると、まず目に飛び込んでくるのが、イスラム建築を思わせる5つの馬蹄形アーチ。
その奥には礼拝堂空間が続き、左右の扉から祭壇へ階段を上がれる構造となっています。祭壇中央には、磔にされたキリスト像。既に解説したように、当時の病院はキリスト教と非常に深い結びつきを持っていました。
実際、現在の看護師にあたる役割を担っていたのも修道女達です。つまり、この礼拝堂は単なる宗教施設ではなく、病院という場所そのものが「信仰」と深く結びついていた時代を象徴する空間でもあるのです。
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| リラックス作用がある青や緑 | まるで骨のようにも見える天井 |
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| ムンタネーが目指した理想の病院 | |
あと見どころとして注目したいのが、礼拝堂下部の壁面モザイクです。
一見すると植物や人の顔、蝶のようにも見えますが、少し離れて眺めると、今度は風になびくカーテンのようにも見える、不思議なだまし絵になっています。また、天井へ目を向けると、淡い黄色やオレンジ色のタイルが、まるで動物のあばら骨のように波打っています。
ムンタネーは、人の心を落ち着かせ癒す色として、ピンクや黄色を多用しました。
最後に、この部屋正面の大きな窓から外を見ると、病院中庭が一望できます。
そこには、カラフルな装飾で彩られた赤レンガ建築群が幾重にも並び、その間には光と緑に満ちた広々とした空間が広がっています。この景色を見ると、「患者の心まで癒す病院を作りたい」
というムンタネーの理想が、単なる建築デザインではなく、病院全体を通して徹底されていたことを改めて実感させられます。
廊下の窓からサグラダ・ファミリア
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| 2階の廊下 | 廊下の窓から眺めると… |
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| サン・パウ病院から一直線に延びるその先にサグラダ・ファミリア | |
二階へ上がり、何気なく廊下の窓から外を眺めると、通りの先にはサグラダ・ファミリアの姿が見えます。ここで、モデルニスモ建築を代表する二人の建築家、
- リュイス・ドメネク・イ・ムンタネー
- アントニ・ガウディ
の作品が真正面から向かい合っているわけです。
サン・パウ病院建設当時、サグラダ・ファミリアはまだ「生誕のファサード」がようやく完成へ近づいていた頃。つまり、当時の人々も、この廊下から現在とはまったく違う未完成のサグラダ・ファミリアを眺めていたことになります。
そして、もしサグラダ・ファミリアが完全完成する日が来るなら、この眺めもまた大きく変わることでしょう。
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【当時のサグラダ・ファミリアの様子】 サン・パウ病院が建設途中ながらも暫定的に開業した頃、病院の窓からはサグラダ・ファミリアがこんな感じに見えていました。当時はやっと生誕のファサードの全容が見えて来たと言うところでした。 |
| サン・パウ病院と同様に資金難でガウディは自分の財産の全てを投入、更に友人や市民に教会建設資金の寄付を求めて回ったと言われます。
サン・パウ病院とサグラダ・ファミリアこの二つに共通している点は、あまりにも計画が壮大だったのもありますが、建設資金を途中で使い果たしてしまったその無謀さも否めません。 |
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見学の最後
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| 裏口が出口 | まるで錦絵の様なモザイク |
見学最後の出口ですが、多くの人は管理事務分館の正面口からそのまま出ると思いがちです。しかし実際には、そこからは直接外へ出られません。一度再び中庭へ戻り、右手にある「聖ジョルディ別館」の横を通って進みます。
写真左側に見える場所が出口になります。
売店 ギフトショップ

見学最後は、ショップへとつながっています。お土産類は定番商品が最低限揃っているという感じで、日本人にとって特別興味を引く物はそれほど多くないかもしれません。
また、ガイドブックも日本語版が無いなど、ピカソ美術館やサグラダ・ファミリア、カサ・ミラなどのショップと比べると、やや物足りなさを感じます。ただし、病院敷地内で採れたオレンジやハーブを使ったジャムは、ここならではのお土産と言えるでしょう。これでサン・パウ病院の見学自体は終了です。
ただ、この後はガイドブックにはあまり書かれていない、サン・パウ病院にまつわる幾つかの雑学や裏話について紹介していきます。
幾つかの知られない事実
ムンタネー と ガウディ二人の関係

ガイドブックなどでは、ガウディが学んだ建築学校でムンタネーが教授だったことから、二人は「師弟関係」と説明されることがあります。しかし実際には、二人の年齢差はわずか3歳しかありません。
しかも当時の建築学校は開校したばかり。まだバルセロナには十分な教授陣が育っておらず、卒業したばかりの若い建築家達が急ごしらえで教壇に立っていた時代でした。つまり、ムンタネーも「偉大な師匠」というよりは、少し先輩の若手建築家に近い存在だったわけです。
そう考えると、「師弟」というよりは、むしろ同時代を生きたライバルと捉えた方が実態に近いでしょう。もっとも、二人の作品を見比べると、その作風は驚くほど違います。初期作品の「カサ・ビセンス」こそ多少共通点がありますが、
- カサ・バトリョ
- カサ・ミラ
- グエル公園
- サグラダ・ファミリア
などを見ると、ガウディ作品は完全に独自路線へ進んでいきます。実際、日本から何の知識もなく初めて訪れた旅行者でさえ、「これは同じ時代の建築なのか?」と感じるほど両者の作品には違いがあります。
また、生き方そのものも対照的でした。
ムンタネーは上流社会の中心にいた人物で、後には国会議員にもなったエリート建築家。一方ガウディは、鍋や釜を作る銅板器具職人の家庭に生まれ、貧しい子供向け学校へ通いながら建築家として成功した人物でした。
さらに晩年にはサグラダ・ファミリア建設へ没頭。仕事以外に興味を示さず、服装や身なりも気にしなかったことから、「神の建築家」と称賛される一方で、変人扱いもされていました。つまり二人は、
- 生まれ
- 社会階層
- 性格
- 作風
- 生き方
その全てが対極的だったわけです。もちろん互いに意識していなかったとは思えません。しかし、同じバルセロナで同時代に活躍しながらも、二人はまるで別の世界を生きていた建築家だったとも言えるでしょう。
また、現在ではガウディの知名度が圧倒的ですが、当時はむしろムンタネーの方が高く評価されていたとも言われています。
理由の一つは、ガウディほど奇抜ではない「正統派」の建築だったこと。そしてもう一つ大きかったのが、施主となる資産家やブルジョア達と同じ上流社会に属していたムンタネーの立場でした。
スポンサーあっての建築家

近代スペインを代表する芸術家と言えば、まずピカソやダリが思い浮かびます。
しかし、彼ら画家と建築家とでは決定的な違いがあります。絵画の場合、極端に言えばキャンバスと絵の具さえあれば、買い手がいようがいまいが、自分の好きな作品を描いて発表することができます。
また、その時代には評価されなくても、死後に価値が上がることも珍しくありません。一方、建築家は全く事情が違います。建物というのは莫大な資金が必要になるため、自分一人の力だけで作品を建てることはほぼ不可能。
つまり、施主から仕事を依頼されない限り、自分の作品そのものを世に残すことができないのです。そのため建築家にとっては、
- 社交性
- 上流階級との人脈
- 資産家との関係
が極めて重要になります。その点でムンタネーは、上流社会の中心にいた非常に有利な立場の建築家でした。一方ガウディは、社交性に乏しく、頑固で、施主と衝突することも多く、ひたすら我が道を行く性格。
建築家として考えれば、かなり不利なタイプだったと言えます。実際、生涯最大のスポンサーであり理解者でもあった大富豪グエル伯爵がいなければ、ガウディは世に出ることなく終わっていたとも言われています。
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ブルジョアの自己顕示欲

病院建設にあたり巨額の寄付を行ったパウ・ジル氏ですが、その際に一つ条件を付けました。それは、自分の名前「Pau」を新病院名に入れること。そして、建物各所へ「P」と「G」――つまり「Pau Gil」のイニシャルを組み込むことでした。
実際に見学してみると分かりますが、病院内には驚くほど大量の「P」と「G」の文字が散りばめられています。もちろん寄付そのものは善意によるものでした。しかし同時に、自分の名前を後世へ残したいという強い欲求――言い換えれば自己顕示欲も、そこには確実に存在していたのでしょう。
もっとも、これは何もパウ・ジルだけに限った話ではありません。当時のモデルニスモ建築を建てたブルジョア達もまた、
- 豪華な家
- 奇抜な装飾
- 巨大な邸宅
によって、自らの財力や社会的地位を競い合っていました。つまり、モデルニスモ建築とは単なる芸術運動ではなく、ブルジョア階級による「成功の可視化」という側面も持っていたわけです。
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| 市民の寄付の聖マヌエル別館 | PもGも無く聖人のイニシャルM |
なお、パウ・ジル氏の資金が尽きた後、市民寄付によって建設された「聖マヌエル別館」には、病院側もパウ・ジル氏の名前やイニシャルを一切入れていません。もちろん、病院建設における彼の功績は非常に大きなものでした。
ただ、それまで建物の至る所へ繰り返し刻まれていた「P」と「G」が、この病棟では完全に姿を消しているのを見ると、病院側としても多少複雑な感情があったのかもしれません。言い換えれば、パウ・ジル氏の寄付は純粋な慈善事業であると同時に、自らの名前を後世へ強く残そうとする意思とも切り離せないものだったのでしょう。
【話はそれますが本当に癒す力とは…】
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| ピカソが少年の頃に描いた「科学と慈愛 」 |
通常の病院では考えられないほど凝ったサン・パウ病院の装飾。記事冒頭でも述べましたが、それは「芸術には人の心を癒す力がある」というムンタネーの理念のもと作られたと言われています。
なるほど、そう説明されると納得してしまいそうになります。しかし少し立ち止まって考えると、何か引っ掛かるものもあります。本来この病院は48棟必要だったにも関わらず、実際には最初の10棟を建てた段階で資金が底を尽きました。その後、完成までには実に28年。
もちろん原因は一つではありません。ただ、そこには過剰とも言える装飾や芸術性への強いこだわりが、大きく影響していたことも否定できないでしょう。もしこれがカタルーニャ音楽堂や、ブルジョアの個人邸宅であれば、それもまた芸術として成立したと思います。しかし、最も公共性が高いはずの病院建築でそれを行うことが、本当に正しかったのか。
そこには今なお疑問も残ります。
また、巨額の寄付を行ったパウ・ジル氏の自己顕示欲もそうですが、「芸術には癒す力がある」という言葉そのものにも、どこか建築家側の理想論を感じてしまう部分があります。もちろん、美しい空間が人の心を和らげることは確かでしょう。ただ、本当に病に苦しむ人を最後まで支えるものは何かと考えた時、それは芸術だけではなく、
- 家族
- 友人
- 人との繋がり
の方が、はるかに大きいのではないかとも思えてきます。どれほど豪華な建物でも、人は数日もすれば見慣れてしまいます。しかし、人から向けられる愛情や優しさは、長く心を支え続けることがあります。そう考えると、「芸術の力」という言葉も、病と向き合う現実の前では、少し違った響きを持って聞こえてくるのです。
新サン・パウ病院
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| 赤枠の部分が新しくなった現在のサン・パウ病院 | |
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| 新病院の病棟は東向き | 現在の病院はこんな感じ.. |
2009年以降は、同じ区域奥に建つ新しいサン・パウ病院が、病院としての機能を引き継いでいます。見学の際は、一番奥にある修道女宿舎横から現在の新病院を見ることができます。ただ、その姿は旧病院とは対照的。
そこにあるのは、誰もがイメージするような、無機的で合理性を追求した現代型病院です。ちなみに新病院には、
- 548床
- 22の手術室
があり、年間3万5千人以上の入院患者と、約16万人もの救急搬送を受け入れています。また、次で述べますが、旧病院では病棟側面の窓が全て南向きになるよう設計されていました。しかし現在では、
- 完全空調
- LED照明
- 空気循環設備
などが発達したため、新病院は方角に縛られる必要がなく、東向き配置となっています。もし時間に余裕があれば、この新旧二つの病院を見比べてみるのも面白いでしょう。
スペインの医療制度

最後に、スペインの医療制度について簡単に触れておきます。スペインの医療保険制度は、大きく分けると
- 公的医療保険
- 民間医療保険
の二つがあります。
まず、公的医療保険は日本の健康保険に近い制度で、年金や失業保険などと合わせて運営されています。毎月の社会保険料を支払うことで、診察や入院などの医療費は基本的に無料。
※薬代などは一部自己負担があります。
ちなみに、このサン・パウ病院も公立病院です。
ただ、公的医療には大きな欠点もあります。それは待ち時間。特に手術などは、緊急性が低い場合、数ヶ月待ちになることも珍しくありません。
そのため、経済的に余裕のある人達の中には、別途民間医療保険へ加入する人も多くいます。もっとも、民間病院の医療レベルが公立より大幅に高いというわけではなく、実際には両者とも一定水準以上にあります。
また、大規模手術や高度医療については、設備面の関係から公立病院で行われるケースが中心となります。なお、スペインでは歯科治療は基本的に公的保険対象外となり、自費診療です。
ただ、日本のように保険制度の制約で細かな処置を何度も分けて通院する、という感覚は比較的少ない印象があります。もちろん、日本とスペイン、どちらの制度にも長所短所があります。
ただ全体として見ると、スペインの医療制度は日本同様、世界的にも比較的評価の高い医療システムの一つと言えるでしょう。
アクセス
| 【最寄り駅の地下鉄 Sant Pau| Dos de Maig 駅 ➡ サンパウ病院まで】 Sant Pau| Dos de Maig地下鉄出口は2つあります。 駅の詳細はこちら。 |
|
| 【サンパウ病院地下鉄 ➡ Sant Pau| Dos de Maig 駅まで】Sant Pau| Dos de Maig 地下鉄駅出口は2つあります。駅の詳細はこちら。 |
|
| 【サグラダ・ファミリア ➡ サン・パウ病院】 | |
| 【サン・パウ病院 ➡ サグアラダ・ファミリア】 | |
フォトムービー
見どころをまとめました。
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|
お勧め度:18点/20点 |
| 住所 | Sant Antoni Maria Claret, 167 【地図はこちら】 |
| URL | http://www.santpaubarcelona.org/en |
| TEL | 933 19 57 40 |
| 開館時間 | 11月〜3月(月〜日)9:30〜17:00、4月〜10月(月〜日)9:30〜18:30 ※閉館日: 12/25 |
| 料金 | 公式HPを参照 |
| 最寄駅 | メトロ5号線 Sant Pau|Dos de Maig(サン・パウ・ドス・ダ・マッチ)駅から徒歩約1分 |
| 記事は取材時点のものです。現在とは記事の内容が異なる場合もありますのでご了承ください。間違った情報、また有用新情報、分かり難い点や質問等ございましたら情報共有いたしますので、サイト内の「バルセロナ観光情報掲示板」に書き込んでください。 |
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@ | この記事を書いた人:カミムラ:生まれ京都府。1989年日本を離れバックパックをかついで海外へ。アジア、アフリカ、中南米、ヨーロッパを旅し1997年よりバルセロナに在住。。 記事最終更新 2026.06.06 |
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