スペインが生んだ偉大な芸術家パブロ・ピカソ。1881年にアンダルシアのマラガに生まれたピカソは、1895年から97年にかけて、多感な10代の半ばをここバルセロナで過ごしました。

バルセロナで青春時代を過ごしたピカソ
| スペインが生んだ偉大な芸術家パブロ・ピカソ。 @ 1881年にアンダルシアのマラガに生まれたピカソは、その生涯で一万点を超える油絵・デッサンを残し、10万点にも及ぶ版画、その他数百点の彫刻や陶器作品を製作するなど、非常に多作な芸術家としても知られギネス世界記録にも登録されているほど。 @ また、キュービズムと呼ばれる芸術動向の創始者とされ、従来の遠近法(一点透視図法)によらず、異なる複数の視点からとらえた物体の形を一つの画面に描写し、断片化された平面として再構成する独自の表現方法を確立したことで世界でも最も著名な画家の一人となりました。 @ そんな、ピカソが1895年から97年にかけて、多感な10代を過ごしたのがバルセロナです。 ここで紹介するMuseu Picasso(ピカソ美術館)は、バルセロナのゴシック地区の東に位置するMontcada(モンカダ通り)に13~14世紀に建てられたお金持ちの邸宅5軒を改装し1963年に開館しました。 @ 尚、美術館のあるモンカダ通りには昔のお屋敷跡が並び、今でも中世の雰囲気が色濃く残っています。 |
| *当サイトはスマホでは正しく表示されません。お手数ですがPC表示に切り替えてご覧ください。 |
パブロ・ピカソ年表
| スペインの南のアンダルシア地方のマラガ市で生まれたピカソですが、実際にスペインに住んでいたのは若い頃だけです。ここで彼の軌跡をたどってみると、バルセロナには 1896~1904年 の8年間過ごし、その後92歳で亡くなるまでは、人生の殆どをフランスで過ごしました。 @ |
| 1881年 | 10月25日、南スペイン・カラガで絵の教師の子として生まれる。 |
| 1892年 | ラ・コルーニャにある父の教える美術学校に入学し、美術の基礎を学ぶ。 |
| 1896年 | バルセロナの美術学校に入学。 |
| 1897年 | 「科学と慈愛」がマドリードで開かれた国展で佳作を受賞。*ここバルセロナに展示 |
| 同年 | 「科学と慈愛」がマラガの地方展にて金賞を受賞。 |
| 同年 | 秋、マドリードのサン・フェルナンド王立アカデミーに入学。のち中退。 |
| 1899年 | バルセロナに居を構え、絵に専念する。 |
| 1900年 | 初めてパリを訪問。バルセロナとパリを行き来する。 |
| 1901~1904年 | 【青の時代】親友カサヘマスの自殺にショックを受け、青く暗い色で売春婦や乞食などを描く。 |
| 1904年 | パリ・モンマルトルに住みはじめる。 |
| 1904~1907年 | 【バラ色の時代】恋人フェルナンド・オリヴィエと知り合い、明るい色調でサーカスの芸人などを描く。 |
| 1907~08年 | アフリカ彫刻の時代。アフリカ彫刻の影響を強く受ける。 |
| 1909~1912年 | 【分析的キュビスムの時代】ジョルジュ・ブラックと二人で立体派=キュビスムを追究。 |
| 1912~1918年 | 【総合的キュビスムの時代】コラージュ技法を開発。 |
| 1918~1925年 | 【新古典主義の時代】古典的写実に向かって量感のある母子像を描く。 |
| 1925年~ | シュールレアリズムの影響を受け、スペインの闘牛図を描く。 |
| 1937年 | ナチスによるゲルニカの町の爆撃に憤って世紀の大作「ゲルニカ」をパリ万国博覧会にて発表。 |
| 1945年~ | ムルロー工房にてリトグラフィーを本格的に取り組む。 |
| 1950年 | 過去の巨匠の作品をアレンジし、新たな作品を描く。 |
| 1968年 | 47点に及ぶエロティックな銅版画を制作。 |
| 1973年 | 4月8日、南仏ムージャンの自宅にて92歳の生涯を閉じる。 |
ピカソの代表的な作品
![]() |
| ゲルニカ(Guernica) 1937作 @ 代表的なピカソの作品としては、日本の学校の教科書や授業などでも取り上げられる絵画「ゲルニカ Guernica」が日本で最も知名度が高いと言えます。この絵はドイツ軍によってスペイン北部のビスカヤ県のゲルニカが受けた都市無差別爆撃(ゲルニカ爆撃)を主題として、ピカソがスペイン内戦中の1937年に描いた絵画です。 @ 発表当初の評価はそれほどではありませんでしたが、いつからか反戦や抵抗のシンボルとなり、20世紀を象徴する絵画とされ非常に高い評価を得ています。尚、現在マドリード市内の国立ソフィア王妃芸術センターで見ることができます。 @ |
![]() |
アビニヨンの娘たち (Les demoiselles d’Avignon) 1907年作 次に代表作と言われるのがこの作品で、描かれているのはバルセロナの売春宿があったアビニヨン通りの5人の裸の娼婦です。。 他にも、ピカソの愛人ドラ・マール(Dora Maar)をモデルにした絵画「泣く女」(1937年)も有名な作品の一つで「泣く女」をモチーフとしたバリエーションは100種類以上存在すると言われています。 @ 現在。この作品は、ニューヨーク近代美術館で見ることができます。 |
時代と共に変化していく作風
| 巨匠と言われるピカソですが、しかし彼の絵を見て「これはすごい」と心の底から思える人はあまり多くなく、実際の所は「このくらいの絵なら、もしかして子供でも描けるんじゃないか」と思う人もいるでしょう。 ただ、あまり知られていませんが、実はピカソは幼少時代から大変絵が上手で、その写実的な絵は写真の様な完璧さでした。それが彼が歳を重ね、時代と共に作風が変化し、現在私達のイメージするピカソ作品になっていったのですが、ここではその変化を時代ごとにまとめてみました。 @ |
| 【青の時代】 1901-1904 @ ピカソが二十歳を過ぎた頃の、薄暗く陰気な青を主に用いた陰鬱な作品が続いたこの頃が「青の時代」と呼ばれます。 1901年2月に親友カルロス・カサヘマス(Carlos Casagemas)が恋愛沙汰でピストル自殺を図った事件に影響を受けたとも言われます。尚、この時代を象徴する代表作は、親友カサヘマスと恋人のジェルメーヌが抱き合う姿が描写された「人生 La Vie(ラ・ビィ)」。 また、その他にこの時代の代表作には、ギターを弾く老人を描いた「老いたギター弾き」、暗い表情を浮かべ海辺で身を寄せ合う家族を描いた「悲劇(海辺の貧しい家族」、「盲人の食事」などがあります。 |
![]() |
| 人生 La Vie(ラ・ビィ) |
![]() |
【ばら色の時代】 1904–1906 @ 恋人フェルナンド・オリヴィエと同棲を始めたピカソ。この頃、彼女からフランス語を学んだり、ひたすら絵を描けるようにと精神的な安定を与えられ、彼の人生に変化が訪れることになります。 @ 以降は「青の時代」の表現は影を潜め、ピカソは彼女の美しい裸像や身近な人々の肖像画を初め、彼女の仲間たち、俳優、サーカスの芸人たちを、バラ色を基調とした暖かい色で描くようになりました。 |
| パイプを持つ少年 1905年 |
| 【アフリカ彫刻の時代】 1907–1909 @ 1907年ごろからパリではアフリカ彫刻が流行りはじめ、ピカソもその影響を受けます。 代表作の一つとして既に述べた、キュビズムの原点となる絵画、アヴィニョンの娘たち( Les demoiselles d’Avignon)は、そのアフリカ彫刻・古代イベリア彫刻などの影響を受けて製作されたものです。 @ また、この時期に醸成されたアイディアは、次のキュビズムの時代へ直接結びついてゆきます。 |
![]() |
![]() |
【キュビスムの時代 】 1909-1912 @ ピカソは1917年から、それまで何が描かれているのか判別がつきにくかったキュビスムによる表現、それを一変させたのがこの時代です。 @ その中でもセザンヌに強い影響を受けたのが、セザンヌ的キュビスムの時代と呼ばれ、またジョルジュ・ブラックと共にキュビズムを創始したのが、分析的キュビスムの時代と呼ばれています。 そして、最後にファインアートで初のコラージュ技法を用いたのが、総合的キュビスムと呼ばれるものです。 |
| マンドリンを持つ少女 1910年 |
| 【新古典主義の時代】 1918-1925 @ 第一次世界大戦(1914-1918)中の1917年、バレリーナのオルガ・コクローヴァと知り合い、翌年に結婚したピカソは、この頃から古典的で写実的な描法を次々と生み出していくことになります。 1917年作の「安楽椅子のオルガ」では、奥行きの描写にキュビズム的な要素を残しつつも、オルガの顔や腕は丸みを帯びていて、それまでの作品と一目で違いがわかるほどに写実的に描かれています。 |
![]() |
| 母と子 1921年 |
![]() |
【シュルレアリスムの時代】 1925-1936 @ この当時のピカソは新しい表現を模索していた頃で、そんな中、超現実主義者たちから大きな刺激を受けます。その結果、人物を現実には存在するはずも無い、非現実的な形態に変えて描くようになっていきます。 @ 想像力が駆使された超現実主義的な手法でピカソ独自の世界が展開されたこの時代を「シュルレアリスムの時代」と呼びます。 また、妻オルガとの不和で精神的にも不安定となったこともあり、非現実的で怪物のようなモチーフを数多く描くこととなりました。 |
| マリー・テレーズの肖像 1937年 |
メジャーな作品は、ほとんど..

| 日本人がイメージするピカソ作品と言えば「ゲルニカ」のようなキュビスムの時代の絵。ただ、ここバルセロナのピカソ美術館は3800点の展示を誇りはしますが、残念ながらあまりメジャーな作品はありません。 @ ただし、その代わり私達が教科書で見たことなもないような、あまり知られていないピカソの少年時代の「青の時代」の作品が多く見ることが出来、またバルセロナでの修業時代 → 青の時代 → バラ色の時代 → キュビスムの時代 → 晩年と、年代別に非常に分かり易く展示されています。 @ 有名作品を期待して来るとその点で少し物足りなさを感じますが、それとは別に稀代の天才画家のルーツを時代ごとに追うことができる点では一見の価値があります。 @ 尚、見どころ作品は以下。 |
普通の絵を描いていた少年時代

| 【「科学と慈愛】(1897年) 15歳の時の作品「初聖体拝受」や16歳で数々の賞を受賞した「科学と慈愛」は、伝統的・写実的な手法で描かれた人物画です。 @ キュビズム以降のいわゆるピカソらしい絵、言い方を変えると意味不明とも取られかねない絵と違い、ある意味普通に絵がうまい、ピカソ少年の絵に驚くことでしょう。 |
ピカソが世界的に知られるようになった出世作
![]() |
この「la espera」またの名を「マルゴット」と呼ばれる作品は、ゴッホに影響を受けたと言われる点描法を使った娼婦の絵です。 @ 黄色、赤、緑、黒などの原色と点描法を使い、背景と華やかな赤い洋服を着た娼婦に漂うどこかけだるさを上手く描いています。 @ この作品は、ピカソがパリに来た20歳くらいの時に描いたもので、ピカソが国際的に知られるきっかけとなった非常に有名な絵画です。 |
名画をピカソ流に解釈すると

| 【ラス・メニーナス】(1957年) 世界三大絵画のひとつ「ラス・メニーナス」の連作で、バルセロナのピカソ美術館の目玉的な作品。 @ 左:ピカソ作「ラス・メニーナス」 右:ベラスケス作「ラス・メニーナス」(1656年)。 @ プラド美術館蔵、スペインの宮廷画家ベラスケスの「ラス・メニーナス」は、言わずと知れた世界三大絵画のひとつと謳われています。その絵を70歳を過ぎたピカソが描いた「ラス・メニーナス」の連作は、ピカソならではのアプローチで全体あるいは部分が切り取られ分解され、更に独自の解釈を加えて再構築されたもので、この美術館の必見作品です。 |
予約して行きましょう!

| 近年、観光客の爆発的な増加でいつも入場待ちの行列ができるピカソ美術館。 事前にネットで時間を選び予約すると待たずにすぐ入れて効率的ですので、面倒がらずに予約を入れていかれることをお勧めします。 |
![]() |
【チケット予約の仕方】 ピカソ美術館のネット予約の仕方を日本語で徹底解説しています。 |
最後にピカソにまつわる面白話
| 【生まれたときは死産と思われた】 ピカソは大変な難産で生まれ、また非常に弱々しかったため助産婦は既に死産と思い込みピカソをテーブルに放置して、ピカソの母親の介護に当たっていました。このとき奇跡的に助けてくれたのが医師であった叔父。当時は葉巻を医師が当たり前に吸っており、この叔父がピカソの顔にその煙を吹きかけると、ピカソが反応したことにより一命をとりとめました。 |
|
| あ | |
| 【非常に長いクリスチャンネーム】 これはよく知られていることですが、ピカソは非常に長い名前で全部書くと「パブロ・ディエーゴ・ホセー・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピーン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・マーター・パトリシオ・クリート・ルイス・イ・ピカソ」となります。 |
![]() |
| あ | |
| 【最初の言葉は、えんぴつ】 画家になるために生まれてきた様なエピソードと言えるのに、スペイン語で鉛筆のことを”lápiz”といい、その短縮形の”piz”と言いますが、彼が生まれて最初に発した言葉がそれでした。また、芸術家であり美術の先生だった父親のルイスは、ピカソが7歳になったときから芸術の教育を施しましたが、13歳になる頃には既に追い越されたと父親自身が気付き、それ以降は自ら描くことは無かったと言われています。 |
| @ |
| 【ピカソは問題児だった】 ピカソは子供の頃から指導されることを好まず、先生から処罰を受けることも度々ありました。後年、その当時の事をピカソはこう語っています。。。「たしかに、問題児として真っ白な壁に囲まれたベンチが一つあるだけの処罰室によく送られたけど、実はそこが大好きだったんだ。なぜって、スケッチブックを持っていって手を止めることなく、延々と絵を描き続けることができたからさ。」 |
|
| @ | |
![]() |
【モナリザ盗難事件で逮捕される】 1911年にルーブル美術館からモナリザが盗まれたとき、警察はピカソの友人であり、詩人のギョーム・アポリネールを犯人として逮捕。その際に彼が容疑者としてピカソの名を上げたのがきっかけで、ピカソも逮捕されました。ただし、二人は無関係と言うことで一週間後に釈放されています。 |
| @ |
| 【キュビスムはただの立方体と言う批判から名づけられた】 1909年にピカソとフランスの画家のジョルジュ・ブラックと創始したキュビスムという名の由来は、フランスの批評家ルイ・ボークセル(Louis Vauxcelles)が名づけたもので、彼が「ピカソらの作品を、立方体(キューブ)以外の何でもない」と批判したところから来ています。 |
|
| @ | |
| 【最も多作で、最も作品総額の高い画家】 絵と素描で13,500点、版画で100,000点、挿絵で34,000点にも及び、最も多作な画家としてギネスブックに載っています。また、2015年のサザビーズの競売で、「アルジェの女たち」は史上最高額の215億円の値がつきました。尚、彼の10万点を越える作品を全て合わせた総額は、一説には100兆円とも言われています。 |
| @ |
| 【プレイボーイ】 有名画家であったことでピカソは女性に困りませんでしたが、知られている妻や愛人だけでも数多くいて、まずピカソ23歳の時の最初の恋人フェルナンデ・オリヴィエから始まり、最後の妻となった27歳のジャクリーヌと79歳の時に結婚するまで、数十人にのぼります。 |
|
| @ | |
| 【岡本太郎と親交があった】 岡本太郎がパリ滞在中ピカソ作品に出合い強い衝撃を受け、そして「ピカソを超える」ことを目標に絵画制作に打ち込むようになるのですが、同時にピカソとも親交を持つようになりました。詳細は、テレビ番組の中の「私とピカソ」で自ら語っています。 |
天才は実は発達障害だった!
| 諸説はあるものの、ピカソは実はADHD(注意欠陥・多動性障害 )だったと言われています。このアスペルガー症候群と並ぶ発達障害の一種のADHDは症状として、不注意(集中力がない)多動性(じっとしていられない)衝動性(考えずに行動してしまう)の3つの症状がみられ、具体的には以下の特徴があります。 @ |
![]() |
・忘れ物が多い。 ・何かやりかけでもそのままほったらかしにする ・集中しづらい、でも自分がやりたいことや興味のあることに対しては集中しすぎて切り替えができない。 ・片づけや整理整頓が苦手。 ・注意が長続きせず、気が散りやすい。 ・落ち着いてじっと座っていられない。 ・順番が待てない。 ・会話の流れを気にせず、思いついたらすぐに発言する。 ・他の人の邪魔をしたり、さえぎって自分がやったりする。 ・etc…. |
| @ では、幼少の頃の様子、また家族や友人などの証言による生前のピカソはと言うと。。。 @ ピカソにまつわる話でも書きましたが、ピカソは出生時、重度の仮死状態であったために、それがADHDの発症と関連していると言われています。また、これも既に述べましたが問題児だったピカソは小学校のころから落ち着きがなく、勝手に席を立ったり、授業中ひたすらノートに落書きしたりしていましたが、ただ絵を描くことに関してだけは超人的な集中力を発揮できました。つまり、興味の無い事には全く見向きもせず、好きなことにはずば抜けた才能を発揮できたわけです。 @ そして、ピカソはいくらでもアイデアを思いつく人で、次々と新しい魅力的なアイデアが正に空から彼の頭上に降って来て、それ故に何かをやり遂げる前に次のことへ移ってしまうこともしばしばでした。また、ピカソは自由な生活スタイルを好み、それは因習にとらわれない自由奔放なもので、アトリエの中に画材やさまざまながらくたを置き、更に犬一匹、シャム猫3匹、サルなど珍しいペットを飼っていました。 @ 更にピカソはいわゆる「捨てられない」人で、まったく整理整頓ができず部屋は無秩序。小物、ガラクタ、食べ物、服、芸術作品などがうず高く積み上げられていたと言い、それは現在で言うゴミ屋敷状態。実際、自分でも物がどこにあるかわからず、同居人に大事な手紙や本などを見つけてくれるように頼んだと言われ、彼のズボン服のポケットはに色々な物を中に詰込み過ぎて破れることもしばしばあったそうです。 @ ちなみに、ピカソの名言として「明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけだ。今日できることは今日すべき。」と言うのがあります。世間では偉大な芸術家の素晴らしい言葉だと認識されていますが、実はそうした意味ではなくピカソはただ約束を守れないどうしようもない人で、本当のところは急ぎで頼まれた肖像画や挿絵をよく先延ばしにし、その際の言い訳に苦し紛れに言っていただけでした。つまり彼にとって、たとえ大事な仕事でも自分が興味を持てないものなら「やり残して死んでも構わないこと」だったと言うわけです。 @ また、ピカソは絵のスタイルがころころ変わったことでも有名で、青の時代→ばら色の時代→アフリカ彫刻の時代→セザンヌ的キュビスムの時代→分析的キュビスムの時代→総合的キュビスムの時代→新古典主義の時代→シュルレアリスム→ゲルニカの時代→晩年の時代と、数年単位で変化し続けました。ピカソが次にどんな絵を描くかは誰にも予想不可能で、熱心なファンだったダグラス・クーパーでさえ、晩年の作品群にはついていけないと思ったほどでした。 @ こうしためまぐるしく変わるテーマ性は、ADHDの症状の一つ「新奇性探究」の特徴と言われています。簡単にいえば、飽きてしまうと集中できないため一箇所にとどまることはできず、常に新しいことを追い求め冒険し続けないと生きられないからです。また、ピカソは、一つのことで完璧を目指すより、適当に切り上げて、次々に新しいことに取り組むことのほうが、はるかに得意でした。だからこそ、ピカソは生涯におよそ1万3500点の油絵と素描、10万点の版画、3万4000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作し、最も多作な美術家としてギネスブックに記されているのです。もしピカソが、一つの絵に完璧を求めて微修正を繰り返したり、構想に悩み続けたりするタイプだったら、こんなに多作にならなかったのは間違いありません。 @@ これまでの述べた通り、ピカソはまるでわがままで無邪気な子どもそのものでした。ただ、その裏を返せば自己中心的で協調性がなかったので、友だちとなかなか親密になれませんでした。しかし、一方では一人でいることには耐えがたく、対人関係には積極的で常にいろんな人と会っていたそうです。結局のところ人間関係やコミュニケーションが苦手だったわけではなく、積極的に人と関わりましたがピカソがあまりにも子どもっぽかったので、大人としての深い付き合いができなかったのでしょう。 @ ただ、ピカソ自身も自分の子どもっぽさを意識していたものと思われ「子供は誰でも芸術家だ。問題は、大人になっても芸術家でいられるかどうかだ」と述べており、晩年にはさらに子どもらしくなったピカソは「この歳になってやっと子供らしい絵が描けるようになった」と喜んでいたそうです。子どもらしいことはピカソにとって恥ではなく、むしろとても意味のある勲章だったわけで、実際ADHDの人は、子どもがそのまま大人になったような人だと形容されることがよくあります。尚、あの地元カタルーニャの天才サルバドール・ダリも同じADHDであったと言われ、時代こそ違いますがゴッホも実はアスペルガー症候群だったと言うのは、天才芸術家たちを知る上で興味深いところです。 |
| さて私達の評価は・・・ | |
![]() |
★★★★☆ お昼近くなるといつも入場待ちの行列がすごいことになっているのよ。欧米人はスタートが遅めだから、朝一番に行くと比較的すいているから、その時間が狙い目。だけど、予約していくのがやっぱり一番。 |
![]() |
★★★★★ 絵画も良いけど、以外に貴族のお屋敷だっただけあって、建物の装飾や中庭も素敵。美術館の周辺も歴史漂う地区で雰囲気がいいから、ぜひ路地歩きを楽しんでほしいな。 |
![]() |
★★★★☆ でっかい部屋一面にあるラス・メニーナス。なんか見てると、おもろてついつい笑ってしまうなあ。ところで常設展もええけど、ここは企画展が秀逸なんやでわりと。 |
![]() |
★★★★★ 見学に疲れたら館内のカフェで休憩するといいわよ。ショップもバルセロナの美術館では一番充実してて、おまけにチケットなしでも入れるから、お土産探しにもおすすめ。 |
|
お勧め度:18点/20点 |
| 住所 | Montcada 15-23 【地図】 |
| URL | http://www.museupicasso.bcn.cat/en/ |
| 開館 | 火曜~日曜9:00~19:00、木曜9:00~21:30、 ※12/24、12/31は9:00~14:00 休館日:月曜(祝日の場合も)、1/1、5/1、6/24、12/25 7月24日~9月25日は休まずオープン |
| 料金 | 常設展のみ 一般12€、18~25歳・65歳以上7€、18歳未満無料 常設展+特別展は展示により料金が変わります。 日本語オーディオガイド付きは上記料金に+5€ |
| 最寄駅 | 地下鉄 4 号線ジャウマ・プリメJaume Iから徒歩5分 |
| お得情報 | 毎月第一日曜日は終日、毎週木曜日の18時以降は無料、2/12, 5/21, 9/24は無料。6つの美術館に入ることができるArticket BCN アルティケット・バルセロナ(30€)も利用可能です。 |
| By | ![]() |
オフィスHILL 2015.01.31 作成 2018.01.09 最終更新 |
記事は取材時点のものです。現在とは記事の内容が異なる場合もありますのでご了承ください。 間違いの情報修正、有用新情報、分かり難い点や質問等ございましたらこちらよりご連絡お願いいたします。 |
近くの見所
近くレストラン&バル、カフェテリア
![]() |
【Cal pep】(徒歩3分) 行列のできる人気レストランバル。だみ声Pepシエフがお待ちしています。 |
![]() |
【Llamber】(徒歩4分) スペインの北アストリア発の話題の創作レストランバル。 |
![]() |
【El Xampanyet】(1分) バルセロナのボルン地区にあるカリスマバルは、いつもツーリストで超満員。 |
![]() |
【ボルン地区のお勧めリスト】 近年観光客に人気のボルン地区のお勧めレストラン&バルリストです。 |
ピックアップ記事。
観光記事一覧
基本情報記事一覧
レストラン記事一覧
ショッピング記事一覧
エンターテイメント記事一覧
![]() |
【サッカー情報】 メッシー、イニエスタを擁するバルサ。世界屈指の人気チームを中心に解説します。 |
![]() |
【フラメンコ情報】 本場アンダルシアに負けず劣らずのレベルの高いフラメンコがここでも見れます。 |
![]() |
【バルセロナのイベント情報】 コンサートを初め、お祭り、スポーツ、サッカー等のイベント情報まずはココでチエック! |
















































































