バルセロナの聖堂といえば、サグラダ・ファミリア教会を思い浮かべる人が多いでしょうが、もうひとつ忘れてはならないのが、ゴシック地区のシンボルでもあるカテドラル。
また、行った日本人が予想以上に良かったと言うのがこの大聖堂です。
では、カテドラルの歴史、見どころ、入場方法、入場料、混みぐあい、所要時間、アクセスなどを詳しく解説していきます。
最高格式の教会
正式名称は「La Catedral de la Santa Creu i Santa Eulalia」、日本名では「サンタエウラリア大聖堂」と呼びます。
バルセロナに地区ごとにあるたくさんの教会の中で「司教座聖堂」と呼ばれ、カテドラル(大聖堂)と呼ばれるのはバルセロナではここだけ。
最も格式が高く、バルセロナに住むスペイン人にとっての一番の教会は誰に聞いても観光名所のサグラダ・ファミリアではなく間違いなくここです。
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【司教座とは】 カトリックにおいて、その教区を治める教区長(通常は司教か大司教)が、自分の教区内にいる信徒を教導し、司式するための「着座椅子」のことを言います。すなわちその地域で最も格式が高いことを表します。ちなみに、左の写真はガウディが装飾を手掛けたことで知られるマジョルカの大聖堂の司教座で、椅子の周りの壁一面にセラミックが施されています。 |
歴史
旧市街の中心に建つサンタエウラリア大聖堂 | |
教会の裏の路地は最も中世の面影が残る地区 |
さて、その歴史を振り返えると、この場所には4世紀既に初期キリスト教のバシリカが建設されていました。
その後イベリア半島がアラブの占領下に堕ちた時、一度破壊されてしまうのですが、キリスト教徒によるいわゆるレコンキスタ(国土回復運動)の後、11世紀にロマネスク様式の大聖堂が再建されます。
その後、更にロマネスクの聖堂を飲み込むようにし、ゴシック様式の現在見るカテドラルへと建て替えられたものです。
尚、13世紀の終わり、1298年5月に建設が始められ、落成したのは1450年と、なんと150年もの歳月がかかっています。
建設が始まって100年経過しても、未だに終わらないサグラダ・ファミリアの工事が話題になりますが、ヨーロッパの大教会はどれも完成までかなりの年月を要し、昔はそれは当たり前のことでした。
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例えば、南スペインのセビリアの大聖堂は160年、ドイツのケルンの大聖堂に至っては、なんと600年以上もかかって完成しています。
ケルンの大聖堂の工事、それを日本の歴史年表の下に対比の意味でくっ付けてみると、織田信長が戦国時代の日本で教会を建設を始めていたとしたら、21世紀の現在に至っても未だに工事が終わらず、令和の現在からこの先更に170年要すると言う壮大な話になります。
旧市街の中心
広場前で踊らるサルダーナ | 広場の反対側にはピカソの壁画 |
隣接した建物の端をよく見るとローマ時代の水道橋が |
大聖堂前の広場は昔からバルセロナの中心であり、日曜日ともなれば地元の踊りサルダーナの愛好家が集まるところと知られています。
また、大聖堂の斜め前にあるモダンな造りの建物は「カタルーニャ建築協会」の上にはピカソの壁画があって、今述べたカタルーニャ地方伝統舞踊のサルダーナや、お祭りで使われる「ヒガンテス(巨人の意味)」が描かれています。
ちなみにピカソが描く以前には、ミロが当時のフランコ独裁政権に抗議して一日限りの作品を、この壁に描いたことでも知られています。
ガイドブックには書かれていませんが、バルセロナが古代ローマ帝国の支配のもと、バルキーノと呼ばれていた2千年前に、街に水を送っていた水道橋が聖堂の横に見れます。
元々ロマネスク様式で建てられらカテドラルが、その後のゴシック様式の現在残る建物に飲み込まれていったと同様に、ローマ時代の建造物も帝国の衰退と共に、次の時代には建物の基礎となりました。
こうやってバルセロナの街は時代と共に過去の建造物を飲み込み、その上に成長していったのです。
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【ミロ美術館】★★★★☆ バルセロナに生まれたアーティスト、ジョアン・ミロ。彼の作品を思う存分に…. |
外観の変貌
1880年当時 | 140年後、現在の外観 |
現在、私達が目にする大聖堂の外観(正面)はフランス・ゴシックを継承してネオゴシック様式で造られています。尚、ネオ(新)と言うだけあって、4世紀から存在していた教会の長い歴史の中では案外と新しいものです。
まず、正面の正門(プリンシパル門)は1888年に開催されたバルセロナ万国博覧会に合わせて一大改増築されたもので、銀行家で後にバルセロナ市長にもなったマヌエル・ジローナ・アグラフェルの多大な寄付を資金とし、工事を指揮したのはリセウ劇場の建築でも知られる建築家ジョゼップ・ウリオール・メストラ。
ちなみに世界遺産のサン・パウ病院の建設資金を提供したのも同じく銀行家だったパウ・ジルで、このように昔からヨーロッパでは資産家は富を蓄えるだけでなく寄付、社会貢献するのが日本とは違って常識でした。
尚、写真左の140年前までのカテドラルと見比べると現在とは似ても似つかぬものでした。
昔の教会、そこには繊細な装飾もなくまたシンボルとなっている3本の塔もその当時は存在せず、今とは全く別物と言って良いぐらい非常に地味なものでした。
ガウディも参加したコンペ
正面門のデザインの建築家を決めるにあたっては公募がおこなわれ、その中にはガウディの師匠にあたる建築家マルトレールも応募(写真右)。
この際に図面を描いたのはガウディで、カタルーニャ音楽堂で知られるモンタネールも一緒に参加していましたが結果は落選。採用されたのは写真左でした。
ただ、当時の市の有力者達の政治的な思惑などが絡み最終的にはマルトレールの案との折衷となり、私達が見ている現在カテドラルの形になりました。
外観正面のみどころ
合計76体の像が隙間なくぎっしり並ぶ教会正面のファサード | |
大聖堂の入口に立つキリスト | 入口左右に立つ12使徒 |
この正面のファサードの見どころとしては、地元のモデルニスモ彫刻家ジュアンロッチとアガビートバイミッジャーナが彫刻した76体の天使、王、預言者の像が、それぞれぎっしりと並ぶ門があります。そして入口に立つキリスト像は、地元カタルーニヤの彫刻家アガピート・バイミッジャーナ。
あと、大聖堂のファサードに付き物のキリスト12使徒ですが、ここでは裏切り者のユダの後任として選ばれたマテオ(マタイ)ではなく、本来は「最後の晩餐」に連なった十二使徒の中には数えられないはずのパウロが、なぜか12使徒の一人に入っています。
【バルセロナの隆盛期の象徴】 カテドラルの一大増改築は、バルセロナ万国博覧会に急に発案されたものでは無く、元々昔から何度となく試みられ、図面(左)自体はその遥か400年前の1408年には出来ていましたが予算不足で数百年間に渡り実現せずにいたのです。 |
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にも関わらずこの時代に実現できた理由は、スペインの中でもいち早く産業革命に成功し繊維業を中心にバブル景気にあったからです。また、当時多くのブルジョアが誕生し、競うように建てられた数々のモデルニスモ建築も、同じバブル時代の流れで出来た物でした。 |
聖堂の外を一周
聖堂の中こそが一番の見どころと言えばそうですが、時間があれば中だけではなく、外の聖堂の周りをぐるっと一周してみるのもお勧めします。そこには、はるか遠い中世の佇まいが垣間見れます。
中世の名残
教会横の道を進むとバルセロナで一番中世の景色が残る場所がここで、歴史好きには人気のスポットでもあります。
カテドラルの一番の見どころとしては、聖堂内部にもちろんなるのですが、入場の前もしくは後に聖堂を外から一周して見て下さい。
万博時に増設された正面部分、それとは対照的な中世の人々の生活の面影が色濃く残る聖堂の側面、裏側は非常に興味深いものがあります。
例えば、聖堂建物の角は何百年にも渡り馬車の車輪がぶつかった為に削れた跡が残っています。
場所によっては角の下に、車輪が通路の縁石にぶつからない様にした車止めが見てとれます。
またその上には昔は露天商が寸法を測るのに定規として使っていた壁の石積み。
更によく見ていくと、ところどころの壁に縦の筋が幾つも入ったところがあって、これは包丁や刀などを研ぐ砥石代わりに使われた跡など、中世の生活がそのままに遺されています。
ゴシック建築
出っ張った控え壁 | 中世の漂う窓 |
カテドラルの裏が、ちょうど聖堂の後陣になり、ここではパリのノートルダム寺院やミラノのドゥオーモ に代表されるゴシック建築の典型となる控え壁が見られます。
この突き出た壁が天井ドームから壁に掛る巨大な力を横で受け止めることにより、それ以前のロマネスク時代には実現できなかった高い天井と大きな窓、壮大な礼拝空間が実現可能となりました。
尚、ゴシック建築の特徴はこの後、聖堂内部の解説で更に詳しく述べていきます。
ガーゴイル
ここでのもう一つの見どころは、控え壁の上部に並ぶガーゴイルと呼ばれる奇怪な彫刻。口を開けて屋根や壁から突き出ている、その異様な光景が見れます。
ガーゴイルとは?
雨水を吐くガーゴイル | サンパウ病院にも |
ガーゴイルとは、西洋建築の屋根に設置される雨どいの機能を持つ怪物をかたどった彫刻のことを指します。
雨の際は樋から伝わって来た水が最後に怪物の口から流れるように設計されています。諸説はありますが意味としては魔除け。
また逆に聖なる土地へ怪物が入れないことを示す為とされ、カテドラルの場合は聖なる教会内へ悪魔の侵入を防ぐと言う意味合いがあります。
例えば、世界遺産のサン・パウ病院の病棟の屋根に幾つも並ぶ不気味な怪物をかたどるそれは、病で苦しむ人達のいる病棟へ悪魔の侵入を防ぐと共に、病の気を外へ吐き出すという意味で設置されています。ただ、このカテドラルでの言い伝えでは上記の説以外に、復活祭から数えて10週目におこなわれるカトリックの行事の一つ聖体行列に対し、唾を吐いた魔女や悪霊が神の怒りで石にされ、この様になったとも言われています。
また、ガーゴイルは口から水を吐き、その逆のお尻から雨水が入るので、雨水により体内がそれで浄化されるからなど、実際のところ幾つもの説があります。
サン・イウの門
カテドラルの中で一番古い門 | |
ロマネスク様式の柱頭 | グリフォンと戦う戦士 |
まるで漫画の様なひょうきんさが溢れてるロマネスク美術 |
聖堂の出口のサンタ・エウラリアの門を、ちょうど大聖堂を挟んで反対側に位置するのがカテドラルの中で一番古い部分になるサン・イウの門です。門の脇にある柱には、現在の大聖堂の建設が1298年にここから始まったと記されています。
モンジュイックの石を使って作られた門は初期ゴシック様式ですが、門の両脇の柱の上部をよく見るとそこにはゴシック以前のロマネスク様式も見てとれます。
戦士と戦うライオンやグリュプスなど、これらは元あったロマネスク様式の大聖堂を壊した際、いくつかの彫刻をそのまま新しい教会に流用したからです。
カテドラルの正面右にあったローマの水道橋しかり、現在でこそ歴史ある建造物は大事に保存されますが流行り廃りによって以前のものは容赦なく破壊し、その上に新たに作り上げて来たヨーロッパの歴史がここにも垣間見る事が出来ます。
そんな歴史をくぐり抜け漫画チックなユーモラスな彫刻が大聖堂の裏に人知れず、幸運にも破壊されず残っています。
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カテドラル内部
ここから一番の見どころとなるカテドラルの内部の解説に入ります。
見取り図
大聖堂の造りは、幅40メートル、奥行き93メートル、高さ28メートルの聖堂部分と、その右の中庭を取り囲む様に作られた回廊が合体した建物となっています。
次に聖堂の入り口を入ると、まず正面に聖エウラリアのレリーフが見え、その後方に聖歌隊席。
その聖歌隊を越えた所に聖エウラリアの棺が収められた地下礼拝堂があり、更にその上に大聖堂の一番奥となる主祭壇と言う配置になっています。
主祭壇の手前、左の礼拝堂の一つに屋上テラスへ登るエレベーターがあります。
また、聖歌隊席を越えた所を右に行くと扉があり、そこを出ると修道院の中庭に繋がっていて、博物館、売店、出口などは、中庭を取り囲む回廊に沿って位置しています。
中央身廊
この威容、お腹にド~ンと落ちるような衝撃を見る者にあたえます | |
カタルーニャ・ゴシック様式 | 上に大聖堂の一番高い塔 |
まず、聖堂内に入っての見どころとしては、入口の正面ファサードでみた壮麗なフランス・ゴシックの様式が、聖堂の一歩中へ入ると雰囲気が一変します。
そこにはあの壮麗さは無くなりますが、その代わり静粛と歴史の重みが満ちあふれています。
高い天井、それを支える何本もの太い円柱は、回りに細い柱をたくさん合わせた”束ね柱”と呼ばれるもので、それの威容は正に荘厳と言ってよく、訪れる者を圧倒します。
【天井の要石(かなめ石)】 |
リブの中心に位置する要石 | 要石の周りに更に要石 |
カテドラル天井を見ると、そこには大小幾つもあるリブ・ヴォールト (リブの付いたアーチ天井) に支えられていて、またその中心にはキリストや聖人たちの装飾が施された要石が合計215あります。
尚、要石を始めとした幾つかあるゴシック建築の特徴を、ここでまとめてみると。。。
【ゴシック建築の特徴の一つ、アーチ】
まず、今述べた要石(かなめいし)ですが、またの名はその形から楔石(くさびいし)とも呼ばれます。
アーチの頂上部分にあることを示すと同時に、左右両方向から真ん中に向かってアーチ状に延びてくる建材が崩れないように、締め固定させる役目を持ちます。
この要石、日本語で言う肝心かなめの正に要。また英語ではキーストーンと呼びますが、キーパーソンと言う言葉があるように物事の中心人物、一番重要なところに位置していると言う事でも分かる様に建築構造上も非常に重要なもので、教会の要石の場合はアクセントとして、装飾が施されている場合が多くあります
あと、大聖堂の天井を見て分かる様に、その要石を中心に天井には幾つものリブ、日本語で言うと助骨(ろっこつ)が壁に向かって放射状に伸びて天井を支えていますが、これをリブ・ヴォールトと呼び、ゴシック建築の構造上の鍵となるものです。
また、カテドラルの裏に並ぶ奇怪なガーゴイル。
あれらが置かれていたのが控え壁と言われる、外壁から垂直に外側に出っ張った壁で、大聖堂の天井の重みが横方向に押し出そうとする力を、飛び梁を通じて支え崩壊を防いでいます。
尚、このリブ・ヴォールトの使用と飛び梁、控え壁の3つがセットになって、ゴシック以前の建築方法では不可能だった高く薄い壁の巨大な空間を創出し、またそれは次に述べる大なステンドグラスの設置も可能とし、大聖堂を光であふれさせました。
ステンドグラス
大聖堂の一番奥、主祭壇を取り囲むステンドグラスを見ると…
ステンドグラスは14世紀から、20世紀の長期に渡って作られたもので、その間に幾多の改修工事がおこなわれた末、現在の形になりました。
一見すると分かりませんが、ステンドグラスの窓は隣どうしにも関わらず、作られたのが300年も違うものまであるのです。
拷問のレリーフ
バルセロナのカテドラルは、正式名はLa Catedral de la Santa Creu i Santa Eulalia、「聖クルスと聖エウラリア大聖堂」といいます。
教会の名前の由来となるバルセロナの守護聖人であるサンタ・エウラリアは、ローマ皇帝ディオクレティアヌスがキリスト教を禁止した時に、純粋無垢なエウラリアは統治していたローマ人に「なぜキリスト教が禁止されたのか?」と質問しますが、逆にキリスト教を棄てるように強制されます。
その後、信仰心が深かったエウラリアは決して信仰を捨てなかったため、ローマ人によって13の拷問を受け、わずか13歳で殉教し、その後に聖人として列せられることになりました。
拷問を受けて処刑されたエウラリアのいたましい生涯が刻まれた大理石のレリーフがカテドラル内の聖歌隊席入り口の壁に掲げられています。
キリスト教ならではと言える残酷絵巻のレリーフには4つの場面が描かれていて、左からサンタ・エウラリアが、この地方を統治していたローマ人に質問している場面で、次は彼女がムチでたたかれている場面。そして火あぶり、最後は十字架に掛けられている場面となっています。
合計で13あったと言われる拷問とは…
●ガラスの破片が詰まった靴を履いてBaixada de Santa Eulalia通りを3往復させられた
●ナイフが突き立てられた樽の中に押し込まれ、樽ごと通りを転がされた
●X字型の十字架に貼り付けにされた
●最後に斬首された
と言った、むごいものでした。
【二つの異なる聖人十字架】 カテドラルの椅子をよく見ると、その背もたれには二つの十字架が彫られています。一つはよく見る普通の十字架ですが、もう一つは十字架がローマ字のX。 |
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これは、サンタ・エウラリアが磔された時の木がXに組まれていたためで、ここではXの十字架はサンタ・エウラリアを表し、もう一つの普通の十字架は聖人サンタ・クレウを表します。 |
地下聖堂
祀られているサンタ・エウラリアの棺。中に遺骸が入っています | |
祭壇の真下にある墓 | 賽銭箱 |
主祭壇の下の霊廟にはこの幼い聖人の棺が安置されていて、2月14日の日に限りサンタ・エウラリアの日には門が開かれ、中に入ることができます。棺の尖塔の上には、右手を掲げ、十字架を手にしたサンタ・エウラリアの像が立っています。
面白いのは、柵の右端にある賽銭箱にお金を入れると霊廟の中の灯りが付くと言う仕掛けになっているところです。
ところで、どうして祭壇の下にお墓があるのか?
日本人にはイマイチ理解し難いキリスト教ですが、その中でもこのカテドラルにおいて重要な意味を持つ殉教で死んだ聖人について、ここで解説します。
【格式高い教会に欠かせない殉教者】
宗教的迫害において命を奪われた場合や棄教を強制され、それに応じないで死を選び殉死することがキリスト教では一番徳があるとされています。
数ある聖人の全てがそうではありませんが、よく知らている有名な聖人たちの殆どで例えば最後の晩餐でキリストと最後を共にした12使徒のうちヨハネを除く全員が全て殉死しています。
すなわち殉死者はキリスト教の中では、何を隠そう一番のヒーローだったわけです。
また、キリスト教では聖遺物と呼ばれるイエス・キリストや聖母マリアの遺品、キリストの受難にかかわるもの、また諸聖人の遺骸や遺品が入った墓の上に祭壇や礼拝堂を作り、そこでミサを行う慣習がありました。
特に聖遺物のうち殉教した聖人の遺骸については古代から中世において最も価値あるものとして盛んに崇敬の対象となり、日本で言えばいわゆるご神体であったり、断食の末にミイラとなった僧侶の即身仏と置き換えることもできます。
特に格式ある大きな教会には聖遺物は必須条件で無くてはならないもので、実際に裏で高額で取引されたとも言われています。
このカテドラルにおいては、サンタ・エウラリアが実際に実在したかは別として、聖堂に祀る遺骸としては殉死した聖人であることが重要で、更に付け加えると殉死の際の拷問は惨ければ惨いほど、それにも耐えて死を選んだと言う事で価値が上りました。
以上の様な理由で教会に入った正面の一番目のつくところに”大聖堂の一番のウリで目玉”を信者に見せる意味あいで、数々の惨たらしい拷問の様子が描かれた大理石のレリーフが置かれているわけです。
ガウディの聖人登録運動
【ガウディを聖人に⁉】 殆ど知られていないことですが、地元カタルーニャよりバチカンへガウディを聖人へ登録するように申請が2003年に出されました。 |
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バチカンからその答えは未だありませんが、聖人へのネックとしては、ガウディは晩年こそ熱心な信者でしたが若い頃は特に宗教には全く興味を示していなかったこと。
また聖人になる資格としてここで述べた殉教者や、生前に徳の高い聖職者であったわけでも無く、また奇跡を起こしたと言うことも無いので難しいとされています。 ただし、サグラダ・ファミリアが元々Temple(寺院)だったのが、2010年に教皇ベネディクト16世によってバシリカに格上げされました際の裏事情として、宗教離れが進む現在、世界的に有名なサグラダ・ファミリアはバチカンにとっても、新規信者獲得への宣伝効果が見込まれ、その利用価値があったと言う事に他ならない訳でその点で可能性はゼロではないとも言われています。 更に、ガウディが死亡時には全く意図されていなかったことですが、サグラダ・ファミリアの地下聖堂に埋葬されているガウディは、ここで述べた聖人の遺体の上に教会があると言う形に既になっていて、実に好都合な条件が揃っているといる事は間違いありません。 |
28の礼拝堂
さて、教会につきものの礼拝堂は大聖堂と言うだけあって周りを取り囲むように配置されて、その数は実に28にのぼります。また、礼拝堂以外にも合計81ヶ所の場所に140を超す聖人が祀られています。ところで、なぜこれ程の聖人がいると言うのは、以下の様な事情からです…
【聖人崇拝】
日本の場合は色んな神様、例えば神社の神様、お寺の仏様、更に菩薩に観音様、また怖い顔の風神雷神、はたまた宝船に乗った七福神と、私達日本人ですらよくわからない程神様が混在するいわゆる多神教と呼ばれる日本。
それに比べキリスト教は神は一つとした一神教と言われますが、ただご存知の通りキリスト教には多くの聖人がいて、ある意味でそれら聖人達が日本で言う、よろず神の役目をしています。
例えばバルセロナの街を取ってみても守護聖人と呼ばれるのは二人いて、このカテドラルのサンタ・エウラリアはバルセロナ市の守護聖人で、もう一人の聖人メルセはバルセロナ司教区の守護聖人と言う事になっています。
またカタルーニャ州全体で見ると、聖人サン・ジョルディが有名ですが、黒マリア像でお馴染みのモンセラットもまたカタルーニャの守護聖人として知られます。
それぞれが微妙に役割が違うとも言われますが、結局のところ多くの聖人が信仰の対象となっていて、キリスト教のなかでも特にカトリックは多神教的な要素を色濃く持っています。
黒マリア像
聖堂内をぐるり取り囲む礼拝堂、その数28 | |
バロック様式の祭壇 | モンセラットの黒マリア様 |
尚、キリストをはじめとして聖人たちが祀られていますが、その中にはモンセラットでお馴染みの黒マリア様。
もちろん本家本元の黒マリア像は、モンセラットの山の上ですが、ここにはその分身が祀られています。
各礼拝堂の前には賽銭箱が置いてあり、それを観ると聖人の人気度が微妙に違うのが分かり、また礼拝堂中には昔亡くなった歴代の司教の棺が据え付けられていたりします。
【カタルーニャの聖地モンセラット】 バルセロナからショートトリップで行ける観光スポットして一番人気。 |
聖人の分業化
Virgen de la Luz 電気工、配管 |
San José 大工 |
San Bernardino 絨毯製造業 |
San Eloy 鍵屋 |
Virgen de Lourdes 病気の治癒 |
San Marcos 靴 |
スペインでは都市ごとに違う聖人を、それぞれ守護聖人として崇拝しています。また、中世に端を発するギルド(職業別組合)ごとにも聖人がいて、漁師、鍛冶職人、靴職人、大工、看護師、歯医者などそれぞれに守護聖人がいて、言わば聖人の分業化が過去の歴史の中で自然発生しました。
例えばマドリッドの守護聖人の聖イシドロは農業の守護聖人でもあり、バレンシアの守護聖人の聖ジョセフは、大工の守護聖人として知られています。
ちなみに日本にキリスト教を伝えた、フランシスコ・ザビエルはキリスト教の中では私達日本の守護聖人、日本担当の聖人様と知らない間になっています。
また、特にスペインは全国的に各地方意識が非常に強いこともあり、地元の贔屓にしているサッカーチームと同様、自分の街の守護聖人には特別の思い入れを持っています。
神様の使徒である聖人にまで、それぞれ好き嫌いがあるのはスペイン人らしいところです。
ちなみに日本はと言うと職業や地域と言うよりも、皆さんのご存知の通り縁結び、合格祈願、厄除け交通安全、商売繁盛、夫婦円満、子孫繁栄などの願いごとの種類によって、それぞれの神様を使い分けてお参りしてはいますが、洋の東西問わずどこか共通の部分があるが同じ煩悩の塊の人間と言うところでしょうか。
聖歌隊席
教会の中の中央部分を占めるコロ(聖歌隊席) | |
四方を囲む椅子 | 金羊毛騎士団メンバーの紋章 |
カテドラルの中心に位置するのが、「コロ」と呼ばれる壁に囲まれた聖歌隊席。同じカテドラルでもフランスなどのヨーロッパの他の国には無く、これはスペイン独特の物です。
また、14世紀の終わりから15世紀にかけて作られたオーク材の連なる祈祷席には、カタルーニャ・ゴシックの白眉と言える繊細な彫刻がなされ、カテドラルの中でも最も見応えあるものの一つです。
ちなみに、聖歌隊席とは言いますが、モンセラットの少年聖歌隊の様な讃美歌を歌うと言うより、ここは毎日祈祷に参加する司教座聖堂参事会員が座り祈りました。
また、1519年に「金羊毛騎士団」の第19回総会が開かれ、当時のオスマン・トルコのヨーロッパ侵略の危機を始め、様々な問題がここで議論され、その際に椅子の後ろの壁に金羊毛騎士団のメンバー(ヨーロッパの王や女王など)となる王家の紋章が描かれました。
【実は天皇陛下も金羊毛騎士団のメンバーだった!】
騎士団メンバーの徽章(きしょう) | スペイン国王フェリッペ6世 |
エリザベス女王2世 | 前日本国天皇昭仁 様 |
日本では殆ど知られていませんが、実は前天皇の昭仁様も中世から続くこの金羊毛騎士団のメンバーの一人となっています。現在のメンバーは主権者として現スペイン国王のフェリッペ6世、あとイギリスのエリザベス女王やヨーロッパの王室が名前を並べます。
ちなみに、金羊毛騎士団のシンボルと言えるのが、金色の羊が吊り下がったバッジ。
日本の場合は菊の御紋の下に金色の羊が吊り下がっています。実物は見た事ありませんが、前天皇陛下の洋服ダンスのどこかにあると思われます。
パイプオルガン
ミサ以外にも毎月オルガンコンサートがあります | |
巨大なパイプが並ぶ | 他に無いスペイン独特の横パイプ |
楽器の王様とも呼ばれるパイプオルガン。16世紀に作られ、スペインでも最大規模を誇るこのパイプ・オルガンも見逃せません。普通、ヨーロッパの教会で見かけるパイプオルガンの殆どがドイツ製もしくはオーストリア製が多いのですが、このパイプ・オルガンはスペイン製です。
ところで、スペイン製のパイプオルガンならではの特徴としては、通常の縦に並ぶパイプ以外に横にもパイプが付いていることです。
理由としては縦に並ぶパイプから発せられるオルガンの音色はそのまま天井に向かいますが、カテドラルのコロ(聖歌隊席)はオルガンの目の前にあることもあり、天井を介して響かせるより音の発するパイプの先を横にし、聖歌隊席に直接音が響くように工夫されています。
【パイプオルガンの音色は職人の人力で】現在でこそ電気モーターを使っていますが、以前は演奏者とは別にパイプオルガンへ空気を送る裏方として、鍛冶屋で使っていたようなふいご、その大型のものを使い専門の職人が演奏中は全身を使ってずっと空気を送る作業を続けていました。 | ||
バルセロナのカテドラルの様な大きなオルガンの場合、裏にふいごが幾つも備えられていて特に夏場などはミサの間、汗だくになって作業していたと言う事です。 |
【左右に並ぶ棺】 |
アラゴン王夫妻の石棺 | 聖器室の横壁の石棺 |
カテドラルの基礎を築いたバルセロナ公爵夫妻の棺 |
オルガンの右下を見ると、壁に掛った2つの石棺がありますが、これらはアルフォンソ3世アラゴン王と、その妻コンスタンサ・デ・シシリアのものです。
また、教会の反対側の聖器室の横壁にあるのは、それまでのロマネスク様式を、現在のゴシック様式のカテドラルに建て替えた、バルセロナ公爵ラモン・バランゲー1世とその妻の棺です。
後者の棺の面白いところは、公爵ラモン・バランゲー1世の死後500年後の1545年、画家アンリュック・ファランディスにより、当時の流行だったルネッサンス風に石棺を上から絵の具で木目調に塗り変えられたところで、言われない限り誰も全く気が付かないほど。
【教会内に埋葬される意味】(写真はグラナダの大聖堂に眠るカトリック両王の棺) ところで、墓地では無く聖堂内に棺がある理由は何だと思いますか? |
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それは、死後なるべく神の直ぐそばにいて、なんとしても天国に行きたいと言うキリスト教信者の欲求からによるものですが、ただし教会のスペースは限られているので、その時代の王や貴族、司教などのみが教会内に葬られています。尚、教会にとっても権力者の埋葬は好都合で、死んだ後に教会に埋葬する代わりに生前、王様からの様々な庇護を受けられることが出来ました。このカテドラルの場合だと、公爵ラモン・バランゲー1世による建て替え資金を導き出す、その大きな原動力ともなっています。 |
屋根に登る
カテドラルの象徴とも言える大尖塔と小尖塔 | ||
ゴシック建築の大尖塔 | 中より塔を真下から眺める | |
サンタ・クルスの十字架 | 遠くにサグラダ・ファミリア |
天気の良い日には、カテドラルの塔に登ってみてはいかがでしょう。
正確には塔では無く聖堂の屋根に上るので高さがそれほど無いのと、工事現場の様な足場で雰囲気に少し欠けはしますが、360度の視界の中には、地中海や塔が間地かに見え、遠くには建設中のサグラダ・ファミリアも見えます。
2つの塔の鐘
時間を知らせる市役所の塔 | ミサの始まりを知らせる教会の塔 |
塔の最上部で、15分おきに時を知らせるウヌラタの鐘 |
屋上には53メートルの鐘つき塔が2つ立っています。上部にモデルニスモ様式で鉄で作られた装飾がある塔が、バルセロナ市役所の時間を知らせる時計塔で、塔の中にはそれぞれ女性の名前が付けられた大小さまざまな鐘があり両方の塔を合わせると合計21個。
時計塔で1時間毎に鳴るのが重さ約3トンのエウリアの鐘、15分毎に鳴るのが重さ750キロのウヌラタの鐘。
また、教会の塔で一番大きな鐘はトマサの鐘と呼ばれ特別な時だけに鳴らされます。尚、現在でこそ自動で鐘はなりますが、昔は15人の鐘つき人達が塔に寝泊まりして鐘をついていました。
回廊と中庭
大聖堂に隣接する回廊と、南国の雰囲気漂う中庭 | |
鍛冶屋職人 | 仕立屋の職人 |
靴職人 | パン職人 |
聖堂内を見た後には、隣接するクラウストロと呼ばれる回廊と中庭を見学します。中庭のパティオを取り囲むように、ここにも、小さな礼拝堂が並んでいて、そこには先ほど解説したギルド(職人組組合)の守護聖人達も祀られています。
ちなみに、回廊の床の石を見ると長い年月の間に人が歩き、すり減ってぼやけていますが意味ありげな色々な印が彫られているのに気が付きます。
この印の意味は鍛冶職人、仕立職人、靴職人などのギルドを表していて、それらの石の下にはそれぞれのギルドの中でも特に経済力があったギルドの長の親方が眠っています。
またそれ以外の印の無い石の下にも多数の遺体が眠っていて、実はこの回廊の下は数えきれないほど遺体が眠る一大墓場となっています。
昔は一般市民の中でお金持ちは大金をはたいてこの回廊に葬ってもらいましたが、新しい遺体を埋葬するために地下を掘り起こせば、過去の腐った遺骨があふれ出してくるなどの様々な問題が生じて最終的には禁止されました。
【土葬のキリスト教】(写真の巣箱の様に積まれたお墓がスペインの特徴) ヨーロッパでは日本と違い、埋葬するにあたって土葬が主流になっています。 |
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その理由はキリスト教では、最後の審判に際しての死者の復活の教理を持つためですが、とは言ってもキリスト以前の古代ヨーロッパ、ローマ帝国時代においては火葬が主流でした。また、近年は信仰心も希薄化たのと土地の問題もあり火葬が増えスペイン全土で40%、バルセロナに至っては更に高く47%が火葬となっています。また、この数字は年々高くなる一方です。 |
13羽のガチョウ
ガチョウは13歳で殉教したサンタエウラリアを表しています.. | |
守護聖人サン・ジョルディ | ショップ |
次に中庭の中でも目を引くのが池にいるガチョウ。ここで飼われている13羽のガチョウは、サンタ・エウラリアが13歳で殉教したことを表しています。
ちなみに、ガチョウは警戒心が非常に強く、見知らぬ人間を見かけると大声で鳴き騒ぎ、対象を追いまわし首を伸ばしくちばしで攻撃を仕掛けることから、古来より番犬代わりともなっていました。
中庭にはその他に噴水があり、苔むした石の上にはカタルーニャの守護聖人のサン・ジョルディが立っています。また、回廊の一画にあるショップでは宗教関係の小物が揃っています。
博物館
博物館入口 | 司教座聖堂参事会会議室 |
参事会会議室の半円筒ドームの天井 | |
「聖体顕示台」 | X十字架が彼女のシンボル |
現在は博物館となっていますが回廊の中のこの部屋は昔、農家が税金を納めに来ていた場所でした。
中にはロマネスク時代の聖水盤や、Xの十字架を持つサンタ・エウラリアの像、剣などが展示されていてその中でも一番のお宝は「聖体顕示台」。
金や宝石がふんだんに使われた正にキンキラキン聖具は日本の祭りで見られる神輿の様なもので、毎年おこなわれる聖体行列で一度だけ外に出てサンタ・エウラリアの像と共に旧市街を練り歩きます。
更に奥の部屋に進むと、昔は会議に使っていた司教座聖堂参事会会議室があり、そこには幾つかの絵画が展示されています。
その中でも一番の見どころは天井画、聖人サンタ・エウリアとサンタ・ウラゲの間に聖霊を表す黄金の鳩が描かれています。
【三位一体説】 キリスト教の根幹である、イエスの本姓についての見解で、「父(神)と子(イエス)と聖霊」は三つの位格をもつが本質的に一体であるという説のことです。キリスト教の最も重要な教義となっていて、聖霊はしばしば鳩として表現されることがあります。 |
まとめ&アドバイス
大聖堂を見る目的を一番にバルセロナに来る観光客は殆ど居ませんが、訪れた日本人が想像以上に良かったと語るのがこのカテドラルです。アクセスも良く旧市街中心とも言える場所にあります。
カタルーニャ音楽堂やランブラス通りと、バルセロナでも屈指の観光スポットからは徒歩で5分と言う申し分ない立地ですので、サグラダ・ファミリアだけで十分と言わず、新旧の教会を比べる意味でも一度訪れて決して損はありません。
ところで、敬虔なキリスト教徒でもない日本人が、なにげなく普通に見て回ってしまうと、入場した際の圧倒される雰囲気にこそ感動しますが、途中から飽きてきてしまう人もかなりいるのも事実です。
ここではカテドラルの建物、サンタエウラリアの言い伝えなど、より興味を持って見て頂けるように解説していますが、この記事以外にもご自分でスペイン旅行の前に事前に調べておくと好奇心が沸き結果的に満足度が深まるはずです。
例えば、ゴシック建築とは?キリスト教の殉教とは?中世のバルセロナの市民の生活とは?などをキーワード検索されると良いかと思います。
あと小説で多少のフィクションも入りますが、個人的には遠藤周作の「沈黙」。
最近の本としては、バルセロナ出身の作家イルデフォンソファルコネスの「海のカテドラル」などを読んで来られると、ギルドや教会、領主、領民、バルセロナ市民など中世の社会の様子、歴史とリンクする点も多く更に興味深い見学になるはずです。
最後に見学の標準的な時間は、ざっと歩きながら見て回るだけでしたら1時間ほどです。オンラインでチケットの事前購入も出来ますが、混んで入れないと言う様なことはありませんので予約なしで大丈夫です。
*古いガイドブックには無料時間があると書かれていますが、観光客は基本的に有料ですのお間違いないようにしてください。
【最後に…】
アクセス
L4号線 JaumeⅠ駅(徒歩3分) | L3号線 Liceu駅(徒歩7分) |
最寄り駅は、地下鉄L4号線Jaume Ⅰ駅、もしくはランブラス通りのL3号線Liceu駅。世界遺産のモデルニスモ建築の傑作「カタルーニャ音楽堂」などからも近く、人気の旧市街観光の中心とも言える便利な場所にあります。
ボケリア市場 ランブラス通り 徒歩5分 |
・カタルーニャ広場 徒歩7分 |
サンタ・カテリーナ市場 徒歩4分 |
・王の広場 徒歩2分 |
・カタルーニャ音楽堂 徒歩5分 |
・ピカソ美術館 徒歩7分 |
・レイアール広場 徒歩7分 |
・グエル邸 徒歩9分 |
【地下鉄JaumeⅠ駅 ➡ カテドラル】 | |
【地下鉄Liceu駅 ➡ カテドラル】 | |
【カタルーニャ音楽堂 ➡ カテドラル】 | |
【カタルーニャ広場 ➡ カテドラル】 | |
フォトムービー
カテドラルの主な見どころを集めてみました。
お勧め度:17点/20点
★★★★☆
住所 | pla de la Seu 【地図&行き方】 |
URL | http://www.catedralbcn.org/index.php?lang=en |
電話 | 93 216 03 06 |
開館時間 | 平日:9:30~18:30(17:45 最終入場) 土, 祝日の前日:9:30~17:15(16:30 最終入場) 日祝:14:00-17:00(16:30 最終入場) |
料金 | 14ユーロ(ミュージアム、聖歌隊席、展望台への入場を含む) |
最寄り駅 | 地下鉄 4 号線 ジャウマ・プリメ(Jaume I) 駅から徒歩約3分 地下鉄 3 号線 リセウ(Liceu)駅から徒歩約7分 |
所要時間 | 約1時間 |
記事は取材時点のものです。現在とは記事の内容が異なる場合もありますのでご了承ください。間違った情報、また有用新情報、分かり難い点や質問等ございましたら情報共有いたしますので、サイト内の「バルセロナ観光情報掲示板」に書き込んでください。 |
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@ | この記事を書いた人:カミムラ:生まれ京都府。1989年日本を離れバックパックをかついで海外へ。アジア、アフリカ、中南米、ヨーロッパを旅し1997年よりバルセロナに在住。。 記事最終更新 2023.11.12 |
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