
バルセロナの教会といえば、まずサグラダ・ファミリアを思い浮かべる方が多いと思います。ただ、もうひとつ忘れてはならないのが、ゴシック地区のシンボルでもあるバルセロナ大聖堂、通称カテドラルです。
実際に訪れた日本人旅行者からも、「思っていた以上に良かった」という声をよく聞く場所です。
ここでは、カテドラルの歴史、見どころ、入場方法、入場料、混雑具合、所要時間、アクセスまで、観光前に知っておきたい基本情報を詳しく解説していきます。
最高格式の教会
正式名称は「La Catedral de la Santa Creu i Santa Eulàlia」。日本語では「サンタ・エウラリア大聖堂」とも呼ばれています。
バルセロナには地区ごとに数多くの教会がありますが、「司教座聖堂(カテドラル)」として位置づけられているのは、実はここだけです。つまり、“バルセロナで最も格式の高い教会”ということになります。
観光名所としての知名度では【Basílica de la Sagrada Família】が圧倒的ですが、バルセロナに住むスペイン人にとって「街を代表する本来の教会」と言えば、今でもこちらを挙げる人がほとんどです。その意味では、サグラダ・ファミリアが“世界的観光名所”なら、このカテドラルは“バルセロナ市民の教会”と言える存在かもしれません。
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【司教座とは】
カトリックにおいて「司教座」とは、その地域を治める司教(または大司教)が、信徒へ教えを説き儀式を執り行う際に座るための椅子のことを指します。 つまり、「司教座聖堂(カテドラル)」とは、その司教座が置かれている教会という意味であり、その地域で最も格式の高い教会であることを表しています。 ちなみに左の写真は、ガウディが内部装飾を手掛けたことで知られる【Cathedral of Santa Maria of Palma】(マジョルカ大聖堂)の司教座。 椅子の周囲にはガウディらしい色鮮やかなセラミック装飾が施されており、独特の幻想的な空間になっています。 |
歴史
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| 旧市街の中心に建つサンタエウラリア大聖堂 | |
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| 教会の裏の路地は最も中世の面影が残る地区 | |
旧市街の中心
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| 広場前で踊らるサルダーナ | 広場の反対側にはピカソの壁画 |
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| 隣接した建物の端をよく見るとローマ時代の水道橋が | |
大聖堂前の広場【Pla de la Seu】は、昔からバルセロナ旧市街の中心的な場所として知られています。特に日曜日には、カタルーニャ地方の伝統舞踊【Sardana】を踊る人々が集まり、今でも地元文化が色濃く残る場所でもあります。
また、大聖堂斜め前にあるモダンな建物は【Col·legi d’Arquitectes de Catalunya】(カタルーニャ建築協会)。建物外壁には【Pablo Picasso】による壁画があり、
- サルダーナ
- お祭りで登場する「Gigantes(ヒガンテス=巨人人形)」
など、カタルーニャ文化をテーマにした絵が描かれています。ちなみに、この壁はピカソ以前にも歴史的エピソードがあります。【Joan Miró】が、フランコ独裁政権への抗議として、一日限定の作品をここに描いたことでも知られています。
さらに、ガイドブックではあまり触れられませんが、大聖堂横には古代ローマ時代の水道橋跡を見ることができます。バルセロナが、古代ローマ帝国時代に「Barcino(バルキーノ)」と呼ばれていた約2000年前、この水道橋を通じて街へ水が送られていました。
面白いのは、こうした古代建築が、時代が変わると次の時代の建築基礎として取り込まれていったことです。ロマネスク様式の聖堂が、後に巨大なゴシック建築に包み込まれていったように、ローマ時代の建造物もまた、帝国衰退後には次の時代の街づくりの土台になっていきました。
つまりバルセロナという街は、過去を壊して消してきたというより、“過去を飲み込みながら上へ積み重なって成長してきた街”とも言えるのです。
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【ミロ美術館】★★★★☆ バルセロナに生まれたアーティスト、ジョアン・ミロ。彼の作品を思う存分に…. |
外観の変貌
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| 1880年当時 | 140年後、現在の外観 |
現在、私たちが目にしているカテドラル正面の外観は、フランス・ゴシックの流れをくむネオゴシック様式で造られています。ただし、「ネオ(新)」という名前の通り、4世紀から続くこの教会の長い歴史の中では、実はかなり新しい部分です。
特に現在の印象的な正面ファサード(正門側)は、1888年の【1888 Barcelona Universal Exposition】に合わせて大規模改築されたもの。建設資金の大部分を提供したのは、銀行家で後にバルセロナ市長にもなった【Manuel Girona i Agrafel】。
そして工事を指揮したのは、【Gran Teatre del Liceu】の建築でも知られる建築家【Josep Oriol Mestres】でした。
ちなみに、世界遺産【Recinte Modernista de Sant Pau】建設資金を提供したのも、同じく銀行家の【Pau Gil】。このように、ヨーロッパでは昔から、富裕層が単に財産を蓄えるだけでなく、
- 病院
- 教会
- 学校
- 芸術
などへ寄付し、街づくりへ関わることが、一種の社会的役割として根付いていました。また、左写真にある約140年前のカテドラルを見ると、現在の姿とは驚くほど印象が違います。
当時の外観には、現在のような繊細な装飾はほとんど無く、シンボルとも言える3本の尖塔もまだ存在していませんでした。今の壮麗な姿からは想像しにくいですが、当時はかなり質素で地味な教会だったのです。
ガウディも参加したコンペ

正面ファサードのデザイン決定にあたっては、当時コンペ(公募)が行われました。その中には、ガウディの師匠として知られる建築家【Joan Martorell】の案も含まれていました(写真右)。
そして、この時マルトレール案の図面制作を手伝っていたのが、若き日の【Antoni Gaudí】。さらに後に【Palau de la Música Catalana】で知られる建築家【Lluís Domènech i Montaner】も関わっていたと言われています。
しかし結果として、コンペで採用されたのは別案(写真左)でした。ただし実際には、当時のバルセロナ有力者たちの政治的な思惑や調整も絡み、最終的には採用案とマルトレール案を折衷した形へ変更。
そうして完成したのが、現在私たちが見ているカテドラル正面の姿です。つまり、この外観には、
- 採用された建築家
- 落選した建築家
- 若き日のガウディ
- モンタネール
といった、後のカタルーニャ建築史を代表する人物たちの影響が、複雑に重なっているわけです。
外観正面のみどころ
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| 合計76体の像が隙間なくぎっしり並ぶ教会正面のファサード | |
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| 大聖堂の入口に立つキリスト | 入口左右に立つ12使徒 |
この正面ファサードの見どころのひとつが、門周辺にびっしりと配置された彫刻群です。地元カタルーニャの彫刻家【Joan Roig i Solé】や【Agapit Vallmitjana】らによって制作された、
- 天使
- 王
- 預言者
など、合計76体もの像が並び、非常に密度の高い装飾になっています。また、入口中央に立つキリスト像も、同じくカタルーニャ出身の彫刻家【Agapit Vallmitjana】による作品です。
さらに細かく見ると、面白い点があります。大聖堂ファサードでは通常、「キリストの十二使徒」が並ぶことが多いのですが、ここでは少し特殊です。
本来、裏切り者ユダの後任として選ばれたのはマティア(マテオではなくマティア/Matías)であり、「最後の晩餐」に参加していた十二使徒のメンバーには含まれていません。ところが、このカテドラルでは、なぜか本来十二使徒ではないはずの【Paul the Apostle】(聖パウロ)が、その中へ加えられています。
宗教建築は、一見すると皆同じように見えますが、こうした細部を見ると、その土地ごとの思想や時代背景が意外と反映されていて面白いところです。
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【バルセロナの隆盛期の象徴】 カテドラルの一大増改築は、バルセロナ万国博覧会に急に発案されたものでは無く、元々昔から何度となく試みられ、図面(左)自体はその遥か400年前の1408年には出来ていましたが予算不足で数百年間に渡り実現せずにいたのです。 |
| にも関わらずこの時代に実現できた理由は、スペインの中でもいち早く産業革命に成功し繊維業を中心にバブル景気にあったからです。また、当時多くのブルジョアが誕生し、競うように建てられた数々のモデルニスモ建築も、同じバブル時代の流れで出来た物でした。 | |
聖堂の外を一周
もちろん、一番の見どころは聖堂内部です。ただ、時間に余裕があれば、中だけでなく外側をぐるっと一周してみるのもおすすめです。
正面ファサードは比較的新しいネオゴシックですが、側面や裏側へ回ると、より中世らしい重厚な石造建築の雰囲気が残っています。細い路地の中に突然巨大な壁面が現れたり、場所によって光の入り方が大きく変わったりと、歩いてみると意外と表情豊か。
観光客が集まる正面広場とはまた違い、はるか昔の中世バルセロナを少し感じられる空間になっています。
中世の名残

教会脇の道を進むと、そこにはバルセロナの中でも特に中世の景色が色濃く残るエリアが広がっています。石畳の細い路地や重厚な石壁が続き、観光地でありながら、どこか時間が止まったような空気を感じられる場所です。
歴史好きの旅行者には特に人気が高く、「いかにもヨーロッパの旧市街らしい景色」を楽しめるスポットでもあります。

カテドラル最大の見どころは、やはり聖堂内部です。ただ、入場前でも後でも良いので、ぜひ外側をぐるっと一周してみてください。
1888年の万博に合わせて増築された華やかな正面ファサードとは対照的に、側面や裏側には、中世バルセロナの生活の痕跡が今もかなり生々しく残っています。
例えば、建物の角部分。ここは何百年もの間、馬車の車輪が何度も接触したことで、石が削れて丸くなっています。
さらに場所によっては、車輪が縁石へぶつからないよう設置された石製の“車止め”も残っています。また、壁の石積みには、昔の露天商たちが長さを測る“定規代わり”として使っていた跡も確認できます。
そして、よく見ると壁面の一部には縦方向の細い傷が何本も刻まれている場所があります。これは、中世の人々が包丁や刃物を研ぐため、壁石を砥石代わりに使っていた痕跡です。
つまりこの周辺は、単なる「古い建物」ではなく、中世の人々の日常生活の痕跡が、そのまま石に刻み込まれて残っている場所でもあるのです。
ゴシック建築
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| 出っ張った控え壁 | 中世の漂う窓 |
カテドラル裏側に回ると、ちょうど聖堂の後陣部分にあたります。ここでは、【Notre-Dame de Paris】や【Milan Cathedral】などにも見られる、ゴシック建築特有の「控え壁(フライング・バットレス)」を見ることができます。
外側へ突き出したこの構造は、巨大な天井ドームから壁へかかる横方向の力を支える役割を持っています。これによって、それ以前のロマネスク建築では難しかった、
- 高い天井
- 大きな窓
- 明るく広大な礼拝空間
を実現できるようになりました。つまりゴシック建築は、単に“装飾が派手になった”のではなく、建築技術そのものが大きく進化した時代でもあるわけです。
なお、このゴシック建築の特徴については、この後の聖堂内部解説でもう少し詳しく触れていきます。
ガーゴイル

ここでもうひとつ注目したいのが、控え壁の上部などに並ぶ「ガーゴイル」と呼ばれる奇怪な彫刻です。口を大きく開け、屋根や壁から突き出すように配置された姿は、どこか不気味で、いかにも中世ヨーロッパらしい独特の雰囲気があります。
単なる装飾に見えますが、実はこれらは雨水を外へ流す排水口としての役割も持っています。
ガーゴイルとは?
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| 雨水を吐くガーゴイル | サンパウ病院にも |
サン・イウの門
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| カテドラルの中で一番古い門 | |
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| ロマネスク様式の柱頭 | グリフォンと戦う戦士 |
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| まるで漫画の様なひょうきんさが溢れてるロマネスク美術 | |
聖堂出口側にある「サンタ・エウラリアの門」と、ちょうど大聖堂を挟んで反対側に位置するのが【サン・イウの門】です。
ここは現在のカテドラルの中でも最も古い部分とされており、門脇の柱には、1298年に現在の大聖堂建設がここから始まったことが記されています。
モンジュイックの石を使って造られたこの門は、基本的には初期ゴシック様式。ただし、門両脇の柱上部をよく見ると、そこにはゴシック以前のロマネスク様式の装飾が残っています。例えば、
- 戦士と戦うライオン
- グリュプス(鷲とライオンが合体した幻想生物)
などの彫刻。これらは、以前存在していたロマネスク様式の大聖堂を解体した際、一部の装飾を新しいゴシック聖堂へ“再利用”したものです。つまり、このカテドラルそのものが、「古い時代を壊しながら、その一部を飲み込み、新しい時代へ作り替えてきた建築」でもあるわけです。
正面右側に残る古代ローマの水道橋跡も同じ。現在では歴史建築は保存対象ですが、ヨーロッパの長い歴史の中では、
- 流行
- 権力
- 宗教
- 時代の価値観
によって、古い建物は容赦なく壊され、その上へ新しい建築が積み重ねられてきました。このカテドラル周辺には、そうした“歴史の重なり方”が今もそのまま残っています。
そして、そんな長い歴史を奇跡的に生き延びた、どこか漫画のようなユーモラスな彫刻たちが、大聖堂裏側にはひっそりと残されています。
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【カタルーニャ美術館】 世界最大のロマネスク美術が保存されている、国立美術館はモンジュイックの… |
カテドラル内部
それでは、ここからはいよいよカテドラル最大の見どころとなる、聖堂内部の解説へ入っていきます。外観の重厚なゴシック建築とはまた違い、内部には、
- 高さを強調した空間構成
- 光と影
- ステンドグラス
- 礼拝空間特有の静けさ
など、中世ヨーロッパの大聖堂ならではの世界が広がっています。
見取り図

大聖堂は、大きく分けると、
- 幅約40メートル
- 奥行き約93メートル
- 高さ約28メートル
の巨大な聖堂空間と、その右側にある中庭(回廊部分)が一体となった構造になっています。内部へ入ると、まず正面に見えるのが聖エウラリアのレリーフ。
その後方には巨大な聖歌隊席(コロ)が配置されています。さらに、その聖歌隊席を越えた奥には、バルセロナの守護聖人でもある聖エウラリアの棺が納められた地下礼拝堂があります。
そして、そのさらに奥――大聖堂最深部に位置するのが主祭壇です。つまり内部空間は、
入口
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聖歌隊席
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聖エウラリアの地下礼拝堂
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主祭壇
という流れで奥へ続いています。また、主祭壇手前左側にある礼拝堂のひとつには、屋上テラスへ上がるエレベーターがあります。
一方、聖歌隊席を越えた辺りを右へ進むと扉があり、そこを抜けると修道院の中庭(回廊)へ出ます。そして、
- 博物館
- 売店
- 出口
などは、この中庭を囲む回廊沿いに配置されています。そのため、このカテドラルは単なる“礼拝空間”というより、
- 教会
- 修道院
- 回廊
- 中庭
が複合した、中世宗教施設そのものの構造を今も残している建物でもあります。
中央身廊
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| この威容、お腹にド~ンと落ちるような衝撃を見る者にあたえます | |
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| カタルーニャ・ゴシック様式 | 上に大聖堂の一番高い塔 |
まず、聖堂内部へ入って最初に感じるのは、外観との雰囲気の違いです。入口正面で見た華やかなフランス・ゴシック風ファサードとは一変し、中へ一歩入ると、そこには派手さよりも「静けさ」と「歴史の重み」が満ちています。
高い天井の下には、巨大な円柱が何本も並びます。これらは、中心の太い柱の周囲に細い柱を組み合わせた「束ね柱」と呼ばれる構造。単なる装飾ではなく、巨大な石造天井を支えるための重要な建築技術でもあります。
そして、その柱群が奥へ規則的に続く光景は、まさに荘厳。現代建築にはない、“人間を圧倒するための空間”という感覚が、この大聖堂には今も色濃く残っています。
| 【天井の要石(かなめ石)】 |
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| リブの中心に位置する要石 | 要石の周りに更に要石 |
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カテドラルの天井を見上げると、そこには大小無数のリブ・ヴォールト(リブ付きアーチ天井)が広がっています。さらに、その交差する中心部分には、キリストや聖人たちをモチーフにした装飾付きの要石が取り付けられており、その数は全部で215個にも及びます。
【ゴシック建築の特徴の一つ、アーチ】

先ほど触れた「要石(かなめいし)」ですが、形状から「楔石(くさびいし)」とも呼ばれます。これはアーチ最上部中央に置かれる石で、
- アーチ頂点を示す
- 左右から押し合う石材を固定する
という重要な役割を持っています。つまり、アーチ全体が崩れないよう締め上げる“最後の一石”というわけです。
まさに日本語で言う「肝心かなめ」の“かなめ”。英語でも「Keystone(キーストーン)」と呼ばれますが、これは「最も重要な部分」という意味でも使われる言葉で、建築構造上どれほど大切な存在かが分かります。また、大聖堂の要石には、単なる構造材としてだけでなく、
- キリスト
- 聖人
- 紋章
などの装飾が施されていることも多く、このカテドラルでも数多く見ることができます。さらに天井を見ると、その要石を中心に、何本ものリブ(肋骨のような骨組み)が放射状に伸びています。
これが「リブ・ヴォールト」と呼ばれる構造です。つまり、
要石
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リブ(骨組み)
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柱
という流れで、巨大な石造天井の重みを分散しながら支えているわけです。このリブ・ヴォールトこそ、ゴシック建築最大の技術的特徴のひとつでした。
そして、カテドラル裏側で見た奇怪なガーゴイル。
あれらが設置されていた場所こそ、「控え壁(フライング・バットレス)」です。巨大な天井は、その重みによって外側へ壁を押し広げようとします。そこで、
- 飛び梁
- 控え壁
によって、その横方向の力を外側から支え、建物崩壊を防いでいます。つまり、
- リブ・ヴォールト
- 飛び梁
- 控え壁
この3つがセットになって初めて、ゴシック建築特有の、
- 高い天井
- 薄い壁
- 巨大空間
が実現できるようになったのです。そして壁を薄くできたことで、大きな窓も設置可能となり、次に見る巨大ステンドグラスによる“光の空間”が誕生しました。
ステンドグラス

大聖堂の一番奥、主祭壇を取り囲むステンドグラスを見ると…

ステンドグラスは、14世紀から20世紀にかけて、実に長い年月をかけて制作されたものです。その間、何度も修復や改修がおこなわれ、現在見る姿へと形作られていきました。
一見すると統一されて見えますが、実は隣り合う窓同士でも、制作年代が300年近く違うものまで存在しています。つまり、この大聖堂のステンドグラスは、一つの時代に一気に作られたものではなく、何世代にも渡って少しずつ付け加えられ、受け継がれてきた“歴史の積み重ね”そのものでもあるのです。
拷問のレリーフ

バルセロナのカテドラルの正式名称は、「La Catedral de la Santa Creu i Santa Eulàlia」日本語では「聖クルスと聖エウラリア大聖堂」と呼ばれています。
この教会名にもなっている【Saint Eulalia】(サンタ・エウラリア)は、バルセロナの守護聖人です。時代は、ローマ皇帝【Diocletian】によるキリスト教迫害の頃。
まだ13歳だったエウラリアは、なぜキリスト教が禁止されるのかを、当時この地を統治していたローマ人へ問いかけます。しかし逆に、信仰を捨てるよう強制されることになりました。
それでもエウラリアは最後まで信仰を捨てず、その結果、ローマ側によって13もの拷問を受け、わずか13歳で殉教したと伝えられています。その後、彼女は聖人として列せられ、現在ではバルセロナを守護する存在として崇敬されています。
カテドラル内部、聖歌隊席入口壁面には、そんなエウラリアの生涯を描いた大理石レリーフが掲げられています。そこには、
- ローマ人へ問いかける場面
- 鞭打ち
- 火あぶり
- 十字架刑
など、壮絶な受難の様子が刻まれています。中世キリスト教美術には、現代感覚では驚くほど残酷な描写も多く、このレリーフもその典型と言えるかもしれません。伝承によれば、エウラリアが受けた13の拷問には、
- ガラス片入りの靴を履かされ街を歩かされた
- ナイフを仕込んだ樽へ押し込められ転がされた
- X字型十字架へ拘束された
- 最後に斬首された
などが含まれていたと言われています。現在の静かなカテドラル空間からは想像しにくいですが、この大聖堂は単なる観光名所ではなく、こうした殉教と信仰の歴史を背景に持つ場所でもあるのです。
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【二つの異なる聖人十字架】 カテドラルの椅子をよく見ると、その背もたれには二つの十字架が彫られています。一つはよく見る普通の十字架ですが、もう一つは十字架がローマ字のX。 |
| これは、サンタ・エウラリアが磔された時の木がXに組まれていたためで、ここではXの十字架はサンタ・エウラリアを表し、もう一つの普通の十字架は聖人サンタ・クレウを表します。 | |
地下聖堂
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| 祀られているサンタ・エウラリアの棺。中に遺骸が入っています | |
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| 祭壇の真下にある墓 | 賽銭箱 |
主祭壇下の地下霊廟には、この幼い殉教聖人【Saint Eulalia】の棺が安置されています。普段は柵越しに見るだけですが、毎年2月12日の「サンタ・エウラリアの日」には門が開かれ、内部へ入ることができます。
棺上部には、右手を掲げ十字架を持つサンタ・エウラリア像が立ち、静かな地下空間の中で強い存在感を放っています。
また、少し面白いのが、柵右端にある賽銭箱。ここへお金を入れると、霊廟内部の照明が点灯する仕組みになっています。暗闇の中に突然棺が浮かび上がるため、思った以上に印象に残る演出です。
ところで、日本人にとって少し不思議に感じるのが、「なぜ祭壇の真下に墓があるのか?」という点かもしれません。実はキリスト教、とくにカトリックにおいて、殉教した聖人は非常に特別な存在です。
そして、このカテドラルそのものも、サンタ・エウラリアという“殉教聖人”への崇敬を中心として成立している教会でもあります。つまり、この霊廟は単なる「お墓」ではなく、大聖堂全体の信仰の中心に位置する場所なのです。
【格式高い教会に欠かせない殉教者】
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キリスト教、とくに初期キリスト教の価値観において、「信仰を捨てずに死を選ぶこと」は、最も徳の高い行為と考えられていました。つまり、宗教的迫害の中で殉教した人々は、単なる犠牲者ではなく、“信仰を貫いた英雄”として崇敬される存在だったのです。
実際、よく知られる聖人たちの多くも殉教者です。例えば、「最後の晩餐」でキリストと共にいた十二使徒も、伝承ではヨハネを除き、ほぼ全員が殉教したとされています。
つまりキリスト教世界では、殉教者こそが最高の信仰者であり、最も尊い存在だったわけです。また、カトリックには「聖遺物(レリック)」という考え方があります。これは、
- キリストや聖母マリアに関係する品
- 聖人の遺品
- 聖人の遺骸
などを神聖視するもので、古代から中世にかけて、祭壇や礼拝堂は聖遺物の上に建てられることが多くありました。特に殉教聖人の遺骸は極めて重要視され、大聖堂クラスの格式ある教会では、“聖遺物を持つこと”自体が権威の証でもありました。
そのため中世ヨーロッパでは、聖遺物が高額で取引されることさえあったと言われています。日本人には少し感覚が掴みにくい部分ですが、日本で例えるなら、
- 神社のご神体
- 即身仏
- 高僧の遺骨信仰
などに近い側面もあります。このカテドラルにおいて重要なのも、「サンタ・エウラリアが実在したかどうか」以上に、“殉教した聖人である”という点でした。
しかも中世的価値観では、受けた拷問が過酷であればあるほど、「それでも信仰を捨てなかった」という証明になるため、むしろ崇敬対象としての価値が高まっていきます。
そのため、教会入口近くという最も目立つ場所に、数々の拷問場面を描いた大理石レリーフが置かれているのです。現代人の感覚では残酷に見えるこれらの描写も、中世キリスト教世界では、「信仰を守り抜いた聖人の偉大さ」を視覚的に示すための、非常に重要な表現だったわけです。
ガウディの聖人登録運動 (余談)
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【ガウディを聖人に⁉】 殆ど知られていないことですが、地元カタルーニャよりバチカンへガウディを聖人へ登録するように申請が2003年に出されました。 |
ただし、現時点で正式な列聖には至っておらず、実際にはかなりハードルが高いとも言われています。というのも、ガウディは晩年こそ非常に敬虔なカトリック信者でしたが、若い頃は宗教へ強い関心を示していたわけではありません。また、キリスト教世界で聖人として特に評価されやすい、
- 殉教者
- 生涯を教会へ捧げた聖職者
- 奇跡を起こした人物
といった典型的な条件にも、ガウディは必ずしも当てはまらないからです。そのため、「建築家を聖人にする」という点も含め、異例のケースとされています。
ただ一方で、可能性が完全にゼロとも言い切れません。背景としてよく語られるのが、【Basílica de la Sagrada Família】が2010年、教皇【Pope Benedict XVI】によって「バシリカ(特別重要聖堂)」へ格上げされた件です。
もちろん宗教的意味合いが第一ですが、現実的には、宗教離れが進む現代において、「世界的知名度を持つサグラダ・ファミリア」が、バチカン側にとっても極めて大きな宣伝効果を持つ存在であることは否定できません。つまり、
- ガウディ
- サグラダ・ファミリア
- カトリック
を結びつけること自体に、大きな象徴的価値があるわけです。さらに興味深いのは、ガウディ本人は生前まったく意図していなかったものの、現在その遺体が【Basílica de la Sagrada Família】地下聖堂へ埋葬されていること。つまり結果的に、「教会の地下に、崇敬対象となる人物の遺骸が存在する」という、中世以来の“聖人教会”に近い構造が、既に出来上がっているとも言えます。
そう考えると、ガウディ列聖問題は、単なる宗教話というより、
- カトリック
- カタルーニャ文化
- 建築史
- 現代観光
などが複雑に絡み合った、かなり興味深いテーマでもあるのです。
28の礼拝堂

さて、教会につきものの礼拝堂ですが、このカテドラルでは、さすが“大聖堂”というだけあって、聖堂周囲を取り囲むように数多く配置されています。その数は、実に28ヶ所。
さらに礼拝堂以外も含めると、合計81ヶ所に140人以上の聖人たちが祀られています。日本人からすると、「なぜこんなに聖人がいるのか?」と不思議に感じるかもしれません。実はこれには、カトリック独特の歴史的・宗教的背景があります。
【聖人崇拝】
黒マリア像
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| 聖堂内をぐるり取り囲む礼拝堂、その数28 | |
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| バロック様式の祭壇 | モンセラットの黒マリア様 |
なお、カテドラル内部にはキリストや数多くの聖人たちが祀られていますが、その中には【Santa Maria de Montserrat】で有名な“黒マリア”も見ることができます。もちろん、本来の黒マリア像はモンセラット山上の修道院に安置されていますが、ここにはその分身とも言える像が祀られています。
また、各礼拝堂前には賽銭箱が設置されており、よく見ると聖人によって寄付金額や供え物の量が微妙に違っています。つまり現代でも、「この聖人にお願いしたい」という、人々それぞれの信仰対象の違いが見えてくるわけです。
さらに礼拝堂内部には、歴代司教たちの棺がそのまま安置されている場所もあります。観光名所として見ていると忘れがちですが、このカテドラルは今もなお、
- 信仰
- 祈り
- 死
- 追悼
が日常的に存在している“生きた宗教空間”でもあるのです。
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【カタルーニャの聖地モンセラット】 バルセロナからショートトリップで行ける観光スポットして一番人気。 |
聖人の分業化
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| Virgen de la Luz 電気工、配管 |
San José 大工 |
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| San Bernardino 絨毯製造業 |
San Eloy 鍵屋 |
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| Virgen de Lourdes 病気の治癒 |
San Marcos 靴 |
スペインでは、都市ごとに異なる聖人を「守護聖人」として崇拝しています。さらに中世以降には、ギルド(職業別組合)ごとにも守護聖人が定められ、
- 漁師
- 鍛冶職人
- 靴職人
- 大工
- 看護師
- 歯科医
など、それぞれの職業に対応する聖人が存在するようになりました。言ってみれば、長い歴史の中で“聖人の分業化”が自然発生していったわけです。例えば、
- 【Isidore the Laborer】はマドリードの守護聖人であり農業の守護聖人
- 【Saint Joseph】はバレンシアで特に崇敬され、大工職人の守護聖人
として知られています。ちなみに、日本へキリスト教を伝えた【Francis Xavier】は、カトリック世界では日本の守護聖人の一人とされています。つまり知らない間に、“日本担当の聖人”という扱いになっているわけです。
また、スペインは特に地方意識が非常に強い国でもあります。そのため、自分たちの街の守護聖人に対しては、地元サッカークラブを応援するのに近い感覚で、かなり強い愛着を持っています。そして面白いのは、「聖人」に対してまで、
- 好き
- 嫌い
- 地元贔屓
が存在するところ。どこか人間臭いというか、そういう感覚はいかにもスペインらしい部分かもしれません。一方、日本では、
- 縁結び
- 合格祈願
- 厄除け
- 交通安全
- 商売繁盛
- 夫婦円満
など、“願いごとの内容”によって神社仏閣を使い分けています。形は違っても、「困った時は、それ専門の神様へお願いする」という感覚は、実は洋の東西を問わずかなり共通しているのかもしれません。
結局、人間というのは昔から、それぞれの願いや不安を抱えながら生きている――ということなのでしょう。
聖歌隊席
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| 教会の中の中央部分を占めるコロ(聖歌隊席) | |
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| 四方を囲む椅子 | 金羊毛騎士団メンバーの紋章 |
カテドラルの中央に位置するのが、「コロ(Coro)」と呼ばれる壁に囲まれた聖歌隊席です。同じカテドラルでも、フランスなど他のヨーロッパ諸国ではあまり見られず、このように聖堂中央へ独立空間として配置される形式は、スペイン特有の特徴として知られています。
また、14世紀末から15世紀にかけて制作されたオーク材の祈祷席には、カタルーニャ・ゴシックを代表する非常に繊細な木彫装飾が施されています。その細工は圧巻で、カテドラル内部でも特に見応えある場所のひとつです。
なお、「聖歌隊席」と言っても、【Escolania de Montserrat】のような少年聖歌隊が歌う場所というより、ここでは司教座聖堂参事会員たちが毎日の祈祷を行うための席として使われていました。
さらに、この場所には歴史的にも非常に重要な出来事が残されています。1519年、このカテドラルで【Order of the Golden Fleece】(金羊毛騎士団)の第19回総会が開催されました。
当時ヨーロッパでは、【Ottoman Empire】による侵攻問題など、多くの政治・宗教問題を抱えており、それらがここで議論されたのです。
その際、聖歌隊席後方の壁には、騎士団メンバーだったヨーロッパ各王家の紋章が描かれました。つまり、この場所は単なる宗教空間ではなく、中世ヨーロッパの政治と宗教が交差した“国際会議場”のような役割まで果たしていたわけです。
【実は天皇陛下も金羊毛騎士団のメンバーだった!】
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| 騎士団メンバーの徽章(きしょう) | スペイン国王フェリッペ6世 |
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| エリザベス女王2世 | 前日本国天皇昭仁 様 |
日本ではほとんど知られていませんが、実は前天皇【Akihito】も、中世から続く【Order of the Golden Fleece】(金羊毛騎士団)のメンバーの一人でした。現在、この騎士団の主権者(団長)は【Felipe VI】。
そして歴代メンバーには、【Elizabeth II】をはじめ、ヨーロッパ各国の王族たちが名を連ねています。この騎士団の象徴とも言えるのが、金色の羊が吊り下がった勲章(バッジ)。
各国王家ごとに紋章と組み合わされ、日本の場合は菊花紋章の下へ金色の羊が吊り下がるデザインになっています。
もちろん一般公開されることはまず無いため実物を見る機会はほぼありませんが、想像するに、前天皇陛下の洋服ダンスのどこかに、ひっそり収められていたのかもしれません。
パイプオルガン
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| ミサ以外にも毎月オルガンコンサートがあります | |
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| 巨大なパイプが並ぶ | 他に無いスペイン独特の横パイプ |
「楽器の王様」とも呼ばれるパイプオルガン。このカテドラルに設置されている巨大パイプオルガンも、ぜひ見逃したくない見どころのひとつです。起源は16世紀までさかのぼり、スペイン国内でも最大級の規模を誇ります。
ヨーロッパの大聖堂で見かけるパイプオルガンは、ドイツ製やオーストリア製が多いのですが、このオルガンは珍しくスペイン製。そして、そのスペイン製ならではの特徴が、横方向へ突き出したパイプです。
通常、パイプオルガンの管は縦方向へ並び、音はそのまま上方へ抜けていきます。ところが、このカテドラルではオルガン正面に「コロ(聖歌隊席)」が配置されているため、単純に上へ音を飛ばすだけでは、祈祷席へ十分に音が届きません。
そこで、一部パイプを横向きに配置し、音が直接聖歌隊席へ響くよう工夫されているのです。つまり、単なる装飾的デザインではなく、「この空間でどう響かせるか」を考えた、非常に実践的な構造というわけです。
巨大な石造空間の中で鳴り響くパイプオルガンは、単なる“音楽”というより、空間全体を震わせる宗教体験に近いものがあります。
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【パイプオルガンの音色は職人の人力で】現在でこそ電気モーターを使っていますが、以前は演奏者とは別にパイプオルガンへ空気を送る裏方として、鍛冶屋で使っていたようなふいご、その大型のものを使い専門の職人が演奏中は全身を使ってずっと空気を送る作業を続けていました。 | |
| バルセロナのカテドラルの様な大きなオルガンの場合、裏にふいごが幾つも備えられていて特に夏場などはミサの間、汗だくになって作業していたと言う事です。 | ||
| 【左右に並ぶ棺】 |
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| アラゴン王夫妻の石棺 | 聖器室の横壁の石棺 |
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| カテドラルの基礎を築いたバルセロナ公爵夫妻の棺 | |
オルガン右下へ目を向けると、壁に掛けられた2つの石棺があります。ここに眠っているのは、【Alfonso III of Aragon】と、その妻【Constance of Sicily】です。
さらに反対側、聖器室横の壁にも別の石棺があります。
こちらは、それまで存在していたロマネスク様式の大聖堂を、現在のゴシック様式へ建て替えた【Ramon Berenguer I】と、その妻の棺です。そして、この棺には少し面白い歴史があります。
ラモン・バランゲー1世の死後、およそ500年経った1545年、画家【Henrique Fernandes】によって、当時流行していたルネサンス風デザインへ“リフォーム”されているのです。
具体的には、石棺表面が木目調に塗装されています。つまり本来は石なのに、見た目は木製家具のように見えるわけです。しかも、その塗装技術が非常に巧妙なため、説明されなければ、ほとんどの人は石に彩色されていること自体に気付きません。
中世の棺に、500年後の流行デザインを上塗りする――。こういう感覚もまた、「古いものを絶対不変として保存する」という現代とは少し違う、ヨーロッパ建築文化の面白さかもしれません。
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【教会内に埋葬される意味】(写真はグラナダの大聖堂に眠るカトリック両王の棺) ところで、墓地では無く聖堂内に棺がある理由は何だと思いますか? |
| それは、死後なるべく神の直ぐそばにいて、なんとしても天国に行きたいと言うキリスト教信者の欲求からによるものですが、ただし教会のスペースは限られているので、その時代の王や貴族、司教などのみが教会内に葬られています。尚、教会にとっても権力者の埋葬は好都合で、死んだ後に教会に埋葬する代わりに生前、王様からの様々な庇護を受けられることが出来ました。このカテドラルの場合だと、公爵ラモン・バランゲー1世による建て替え資金を導き出す、その大きな原動力ともなっています。 | |
屋根に登る
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| カテドラルの象徴とも言える大尖塔と小尖塔 | ||
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| ゴシック建築の大尖塔 | 中より塔を真下から眺める | |
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| サンタ・クルスの十字架 | 遠くにサグラダ・ファミリア | |
天気の良い日には、カテドラル屋上へ上がってみるのもおすすめです。正確には“塔”というより、聖堂屋根部分へ出る形になります。
そのため、高さ自体はそれほど極端ではなく、また足元も工事現場のような通路や足場になっているため、雰囲気という意味では少し実務的な感じもあります。ただ、その分かなり近い距離で、
- 尖塔
- ガーゴイル
- 屋根装飾
などを観察できるのは面白いところです。そして360度の視界の先には、
- 地中海
- バルセロナ旧市街
- 周囲の塔群
が広がり、遠くには【Basílica de la Sagrada Família】の建設中の姿まで見ることができます。華やかな展望台というより、“中世の大聖堂の上へ実際に立っている感覚”を味わえる場所と言った方が近いかもしれません。
2つの塔の鐘
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| 時間を知らせる市役所の塔 | ミサの始まりを知らせる教会の塔 |
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| 塔の最上部で、15分おきに時を知らせるウヌラタの鐘 | |
屋上には、高さ53メートルの鐘楼が2本建っています。そのうち、上部にモデルニスモ様式の鉄装飾が施されている方が、バルセロナ市内へ時を知らせる時計塔です。
塔内部には、それぞれ女性名が付けられた大小さまざまな鐘が設置されており、2つの塔を合わせると、その数は全部で21個にもなります。中でも有名なのが、
- 1時間ごとに鳴る、重さ約3トンの「エウラリアの鐘」
- 15分ごとに鳴る、重さ約750kgの「ウヌラタの鐘」
です。さらに、最も大きな鐘は「トマサの鐘」と呼ばれ、特別な行事の時だけ鳴らされます。
現在ではすべて自動化されていますが、昔は15人もの鐘つき人たちが塔に寝泊まりし、時間や祭礼に合わせて実際に鐘を鳴らしていました。つまり、この鐘楼は単なる建築装飾ではなく、かつては“街の時間そのもの”を管理する重要な場所でもあったのです。
回廊と中庭
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| 大聖堂に隣接する回廊と、南国の雰囲気漂う中庭 | |
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| 鍛冶屋職人 | 仕立屋の職人 |
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| 靴職人 | パン職人 |
聖堂内部を見学した後は、隣接する「クラウストロ(回廊)」と中庭もぜひ見ておきたい場所です。
中庭(パティオ)を囲むように回廊が造られていて、その周囲には小さな礼拝堂が並んでいます。そこには、先ほど解説した中世ギルド――
- 鍛冶職人
- 靴職人
- 仕立職人
など、それぞれの職業組合を守護する聖人たちも祀られています。また、回廊の床石をよく見ると、長い年月で人々に踏み磨耗しながらも、意味ありげな印が刻まれているのに気付きます。
実はこれらの印は、それぞれのギルドを示すマーク。
そして、その石の下には、各ギルドの中でも特に力を持っていた親方たちが埋葬されています。さらに、印の無い床石の下にも無数の遺体が眠っており、実際この回廊地下は巨大な墓地でもあります。
現在の感覚では少し驚きますが、中世ヨーロッパでは、「聖なる場所に近いほど価値が高い」と考えられていたため、裕福な市民たちは多額の寄付をして、教会内や回廊へ埋葬されることを望みました。しかし時代が進むと、新しい埋葬のたびに地下を掘り返す必要が生じ、
- 遺骨が大量に出てくる
- 悪臭
- 衛生問題
など、様々な問題が発生。最終的には教会内部への埋葬は禁止されるようになりました。
つまり、この静かな回廊の地下には、中世バルセロナ市民たちの“死の歴史”が、そのまま積み重なっているわけです。
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【土葬のキリスト教】(写真の巣箱の様に積まれたお墓がスペインの特徴) ヨーロッパでは日本と違い、埋葬するにあたって土葬が主流になっています。 |
| その理由はキリスト教では、最後の審判に際しての死者の復活の教理を持つためですが、とは言ってもキリスト以前の古代ヨーロッパ、ローマ帝国時代においては火葬が主流でした。また、近年は信仰心も希薄化たのと土地の問題もあり火葬が増えスペイン全土で40%、バルセロナに至っては更に高く47%が火葬となっています。また、この数字は年々高くなる一方です。 | |
13羽のガチョウ
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| ガチョウは13歳で殉教したサンタエウラリアを表しています.. | |
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| 守護聖人サン・ジョルディ | ショップ |
博物館
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| 博物館入口 | 司教座聖堂参事会会議室 |
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| 参事会会議室の半円筒ドームの天井 | |
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| 「聖体顕示台」 | X十字架が彼女のシンボル |
現在は博物館として公開されていますが、回廊内にあるこの部屋は、かつて農民たちが税を納めに来ていた場所でした。内部には、
- ロマネスク時代の聖水盤
- X字型の十字架を持つ【Saint Eulalia】像
- 剣などの宗教装飾品
が展示されています。その中でも最大の見どころが、「聖体顕示台(モンストランス)」です。金や宝石がふんだんに使われた豪華な聖具で、日本で言えば“神輿”に近い存在とも言えるかもしれません。
普段は館内展示されていますが、毎年行われる聖体行列の際だけ外へ運び出され、サンタ・エウラリア像と共に旧市街を巡行します。さらに奥へ進むと、かつて会議室として使われていた「司教座聖堂参事会会議室」があります。
ここには複数の宗教画が展示されていますが、中でも特に注目したいのが天井画。そこには、
- サンタ・エウラリア
- サンタ・ウラゲ
の間に、聖霊を象徴する黄金の鳩が描かれています。華やかな装飾というより、静かな重厚感のある空間で、中世以来この場所が宗教と行政の中心だったことを感じさせてくれます。
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【三位一体説】 キリスト教の根幹である、イエスの本姓についての見解で、「父(神)と子(イエス)と聖霊」は三つの位格をもつが本質的に一体であるという説のことです。キリスト教の最も重要な教義となっていて、聖霊はしばしば鳩として表現されることがあります。 |
まとめ&アドバイス
大聖堂を見ることを“旅の最大目的”にしてバルセロナへ来る観光客は、正直それほど多くありません。ただ、実際に訪れた日本人旅行者が「思っていた以上に良かった」と語ることが非常に多いのが、この【Barcelona Cathedral】です。立地も非常によく、
- 【Palau de la Música Catalana】
- 【La Rambla】
など、旧市街中心部の主要観光スポットから徒歩5分ほど。そのため、「サグラダ・ファミリアだけ見れば十分」と思わず、新旧の教会建築を比較する意味でも、一度訪れて損は無い場所だと思います。
ただ一方で、日本人の多くは敬虔なキリスト教徒ではないため、何も知らずに入ると、「最初は圧倒されるけれど、途中から違いが分からなくなって飽きてしまう」というケースも実際かなりあります。だからこそ、
- ゴシック建築
- 聖人信仰
- 殉教
- 中世ヨーロッパ社会
などを少し知った上で入ると、見え方がかなり変わってきます。例えば、
- ゴシック建築とは?
- キリスト教における殉教とは?
- 中世バルセロナ市民の暮らしとは?
などを事前に少し調べておくと、建物の細部にまで興味が湧き、満足度もかなり深まると思います。また、小説では多少フィクションも入りますが、個人的には【Silence】(遠藤周作『沈黙』)や、バルセロナ出身作家【Ildefonso Falcones】の【Cathedral of the Sea】などを読んで来ると、
- ギルド
- 教会
- 領主
- 市民社会
など、中世ヨーロッパの世界観と実際の建築が繋がり、より面白く感じられるはずです。
最後に、見学時間ですが、ざっと歩きながら見て回るだけなら所要時間は約1時間ほど。オンラインで事前予約も可能ですが、【Barcelona Cathedral】は【Basílica de la Sagrada Família】ほど入場制限が厳しくないため、通常は予約無しでも問題なく入れることが多いです。
なお、古いガイドブックには「無料時間あり」と書かれている場合がありますが、現在は観光目的の入場は基本有料となっていますので、その点は注意してください。
アクセス
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| L4号線 JaumeⅠ駅(徒歩3分) | L3号線 Liceu駅(徒歩7分) |
最寄り駅は、地下鉄L4号線【Jaume I station】、もしくはランブラス通り側のL3号線【Liceu station】です。
また、世界遺産【Palau de la Música Catalana】(カタルーニャ音楽堂)からも徒歩圏内。
旧市街観光の中心エリアとも言える場所にあり、
- ランブラス通り
- ゴシック地区
- ボルン地区
などと合わせて非常に観光しやすい立地となっています。
| ボケリア市場 ランブラス通り 徒歩5分 |
・カタルーニャ広場 徒歩7分 |
| サンタ・カテリーナ市場 徒歩4分 |
・王の広場 徒歩2分 |
| ・カタルーニャ音楽堂 徒歩5分 |
・ピカソ美術館 徒歩7分 |
| ・レイアール広場 徒歩7分 |
・グエル邸 徒歩9分 |
| 【地下鉄JaumeⅠ駅 ➡ カテドラル】 | |
| 【地下鉄Liceu駅 ➡ カテドラル】 | |
| 【カタルーニャ音楽堂 ➡ カテドラル】 | |
| 【カタルーニャ広場 ➡ カテドラル】 | |
フォトムービー
カテドラルの主な見どころを集めてみました。
お勧め度:17点/20点
★★★★☆
| 住所 | pla de la Seu 【地図&行き方】 |
| URL | http://www.catedralbcn.org/index.php?lang=en |
| 電話 | 93 216 03 06 |
| 開館時間 | 平日:9:30~18:30(17:45 最終入場) 土, 祝日の前日:9:30~17:15(16:30 最終入場) 日祝:14:00-17:00(16:30 最終入場) |
| 料金 | 16ユーロ(ミュージアム、聖歌隊席、展望台への入場を含む) |
| 最寄り駅 | 地下鉄 4 号線 ジャウマ・プリメ(Jaume I) 駅から徒歩約3分 地下鉄 3 号線 リセウ(Liceu)駅から徒歩約7分 |
| 所要時間 | 約1時間 |
| 記事は取材時点のものです。現在とは記事の内容が異なる場合もありますのでご了承ください。間違った情報、また有用新情報、分かり難い点や質問等ございましたら情報共有いたしますので、サイト内の「バルセロナ観光情報掲示板」に書き込んでください。 |
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@ | この記事を書いた人:カミムラ:生まれ京都府。1989年日本を離れバックパックをかついで海外へ。アジア、アフリカ、中南米、ヨーロッパを旅し1997年よりバルセロナに在住。。 記事最終更新 2026.06,06 |
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