バルセロナでガウディ建築に次ぎ二つ目の世界遺産。
また病院が世界遺産と言う珍しさに加え、サグラダ・ファミリアから徒歩圏内。訪れる人も少なく穴場的な観光スポットとなっているサン・パウ病院、その魅力をここで詳しく解説していきます。
概要
歴史
サン・パウ病院(Hospital de Sant Pau)の正式名称は、サンタ・クレウ・イ・サン・パウ病院と言い、その起源は古く1401年まで遡ります。長い歴史の中で、現在の様なバルセロナ屈指の大病院となるきっかけは1900年代初頭、小規模な6つの病院が一つの総合病院に統合されたことにはじまります。
産業革命とそれに伴う市の人口が急増した18世紀半ば、それまでの施設では手狭となったサン・パウ病院を資金面で支えたのが当時の銀行家で富豪、そして慈善家のパウ・ジルでした。彼の寄付をもとに1902年に増築工事が開始。
病に伏した患者やその家族の心も癒す、と言うこれまでに無い思想で病院が計画され、それに応えるべく設計を担当したのが、建築家リュイス・ドメネク・イ・ムンタネーでした。
建設には途中さまざまな紆余曲折があり、当初の計画からかなり遅れることとなりましたが、着工後の28年にあたる1930年についに完成。その後2009年に老朽化により閉鎖されるまで80年に渡って病院として機能していました。
尚、この病院が同じくムンタネーによって設計されたカタルーニャ音楽堂と二つ合わせ、バルセロナ2番目の世界遺産に登録されたのは1997年のことです 。
【リュイス・ドメネク・イ・ムンタネー】 カタルーニャを代表する建築家で、当時はガウディよりも人気があったと言われる巨匠。 |
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世界遺産のこの「サン・パウ病院」「カタルーニャ音楽堂」を初めとして数々のモデルニスモ建築を現在に残しました。また、バルセロナ建築学校の教授時代、教え子の一人にガウディがいました。 |
サグラダファミリアの12倍の規模
サン・パウ・モデルニスム区域と呼ばれる中に位置する病院は、一辺が400メートル弱で一周1.6キロメートル、徒歩で20分と言う広大な敷地を誇ります。
ちなみにサグラダファミリアの建物の敷地の一辺は113メートルなので、その総面積はサグラダファミリアの12.5倍にもなります。
また「病院」の建物と言えば無機的なイメージですが、ここに建ち並ぶレンガ造りのモデルニスモ建築群はその概念を覆すほど華麗で創造的なものとなっています。
【碁盤の目の街】 バルセロナの新市街は上空からみると綺麗に碁盤の目になっています。詳しく見ると一辺が113mの正方形を一区画とした集合体。 |
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それは、まるでLEGOの組み立てブロックが延々と続く様は正に壮観です。飛行機でバルセロナに着く際、着陸コースにもよりますが、通常なら機首の右側の席の窓から見ることが出来ます。 |
斜め45度に建つ大病院
病院はバルセロナの他では見かけ無い、この区域のみの特徴があります。それは正方形のブロックで構成されている周辺のEixample地区の直角格子に対して、斜め45度に方角を変えて設計されている事です。
理由は19、20世紀初頭の病院の課題は「衛生と伝染病」で病棟の入り口を南北方向とする事で、海風による建物内の換気を図ると共に同時に太陽光を取り入れるためだったと言われています。
サグラダファミリアから眺む
これは、新鮮な空気と日光こそが患者と医師双方にとって一番重要と言う、ムンタネーの考えによるものです。
既に述べましたが当時医療の最大の課題だった伝染病に対し海側の病棟は伝染性の低い患者、丘側には伝染性の高い患者とすることで、伝染病が風で広がらないように工夫しました。
更に、海風を遮らない様、病院から斜め45度方角の先にあるサグラダ・ファミリア教会まで道が延長されることになり、作られたのが現在のアベニーダ・ガウディ通りです。
写真をみて分かるように現在はこの様にサグラダ・ファミリアからサン・パウ病院まで、通り沿いにぎっしりと住宅が建ち並んでしまいましたが、一直線に貫かれた道によって現在も新鮮な空気と日光が周りの住宅に遮られず取り込まれています。
また、サグラダ・ファミリア教会の象徴である「慈悲と愛」が病院の先にたたずむことにより、入院患者にとって二つの完璧な取り合わせが、これにより実現したと言われています。
資金難に喘いだ建設
ムンタネーの当初の計画では、145,000平米の土地に48棟の医療施設が配置され、その全てが患者を保護するために地下通路で繋がる予定でした。
しかし、銀行家ジルの莫大な遺産も1911年には土地の取得や、過剰な装飾に全て費やされてしまい底を尽きます。結局それまでに建てられた建物はわずか10棟のみですが、それらが最も芸術的で意匠に凝ったモデルニスモ建築で私達が見るべきものとなっています。
尚、資金が尽きた後1914年には現在一般公開されている聖ラファエル病棟などの建設が再開されるものの、4年後に工事はまたもや停止。その後1921年にバルセロナ市の後援により工事が再開しますが、監修はムンタネーの息子のペレにバトンタッチ。
この予算削減に見舞われた第二工期の建築物は、最初の10棟よりもずっと質素になり最終的には1930年、管理事務分館を含む28棟を擁する病院都市として、サン・パウ病院がやっと完成に至ります。
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【Pau Gil Serra パウ・ジル・セラ】1816年にバルセロナに生まれ、17歳にしてパリに移り住んだあと、銀行並びに鉱山経営で巨万の富築きます。 | |
その62年の生涯をパリ過ごしましたが、敬虔なキリスト教徒でもあった彼は生まれ故郷のバルセロナ貧民の為に財産を注ぎこんで病院建設に没頭しました。 |
見学スタート
ここからは、見学ルートにある見どころをポイント毎に解説していきます。
入場口(受付)
サン・パウ病院の見学は、まず正面に見える管理事務分館の右手に行き、受付でチケットを購入します。サグラダ・ファミリア等とは違い当日券が完売することがないので、予約は全く必要ありません。
チケットにはフルカラー31ページの日本語の無料パンフレットと、胸に貼る見学者用の緑色のシールが付いてきます。
ちなみにガイドツアーもありますが、ツアーに日本語はありませんし、ツアーだと時間が決められてしまうので、この記事を参考に個人で自分のペースでゆっくりと見て回る方がお勧めです。
4棟が中の見学可能
見学に際しては、まず予約済みの方は直接セキュリティチェックへ向かいます、当日券を購入する方は受付カウンターでチケットを購入してからセキュリティチェックを受けます。
セキュリティチェックを抜けた後は自由に観光となりますが回り方は簡単です。最初の聖サルバドール別館から反時計回りに入場可能な4つの建物を見学し、その途中に中庭や後方の修道女の宿舎などは外より見てまわります。
地図内、青で囲った建物が館内見学が可能な場所。ただ、修復工事が常に行われていて時期によって一部閉鎖されている建物もあります。では、セキュリティチェックを抜けた後の観光スポットをひとつずつ解説します。
多柱式ホール
セキュリティを越え最初に足を踏み入れる見学スポットが、この「多柱式ホール」です。ここはサン・パウ病院の正面入り口の「管理事務別館」という建物の下に位置する場所にあたり。サン・パウ病院が病院として機能していた頃は、救急サービスの場所として使われていました。
ちなみに、入場して最初の部屋が地下になっているのは、このサン・パウ病院の敷地全体が奥から手前にかけて緩やかな傾斜になっていて、そこに建物が建てられたからです。この後に地上に上がって見ると分かると思いますが、どの建物にも半地下部分があります。
また、バルセロナ市内を観光で歩く際によく見て頂くとかなりの数の建物が、傾斜地ということから1階部分が半地下となっているのに気づくはずです。
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地下通路
「多柱式ホール」を出て進んで行くと、真っ白な壁と天井に囲まれた地下通路があります。サン・パウ病院は幾つもの建物が広大な敷地内に建っていたため、それぞれが全てこの地下通路で繋がれていました。
医師や看護師などの医療関係者や入院患者はこの地下通路を利用して各病棟間を移動し、特に冬はこの地下通路のおかげで、入院患者が手術棟や病棟へ寒さを気にせずに移動ができたのは当時としては革新的でした。
また、この地下通路の天井は電気の照明では無く、幾つも並ぶ小さな丸い窓から自然光を上手く取り入れています。
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ちなみに、見学者用に地下通路の壁面には医師や患者さんなどの映像が投写されていて、ちょっと気持ち悪い気もしますが、ここでは当時の通路の様子をイメージしてみて下さい。
【電気の普及の過渡期】 建設当時の電気の普及率はまだバルセロナ市全体の10%にも満たず、電気の安定した供給も出来ませんでした。 |
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その為に自然光を採り入れる設計は当時としては必要不可欠でした。あのガウディも自身の作品カサ・ミラ、カサ・バトリョにおいて徹底的に建物内への採光にこだわったのも同じ理由からでした。
ちなみにレイアール広場にあるガウディ作の街灯(写真左)は炎を直接、光として利用する電気普及以前のガス灯でした。 |
展示と映像ルーム
地下通路を通り、次は展示室とその横には映像ルームがあります。サン・パウ病院の建設当時の様子などを、ここで座って映像で見ることが出来ます。
あと、病院で過去に使われていた用具や薬瓶などの展示物もありますが、それらは特に興味深いものでもないので、ここは軽く見て先に進んで下さい。
病棟群1
聖サルバドール分館
次に訪れるのが、以前は病棟として使われていた聖サルバドール分館です。1916年に病院開業の際に最初に使われたのがこの病棟で、やがてICU(集中治療室)としても使われました。
ここにも先程と同じように病院の歴史展示がありますが、その主なものは病院建設にあたった建築家ムンタネーのモデルニスモの作品の解説となります。例えばムンタネーの代表作のカタルーニャ音楽堂などの軌跡について、ここでも学ぶことができます。
聖サルバドール分館の外観
幾つもある病棟ですが基本的にはどこも同じ様な構造になっています。
まず、建物の入口の左横に診察室などがあり、その反対側に患者の談話室、そしてその奥に続く一番広いスペースに入院患者のベットが並んでいました。また、尖がった塔のドームの中は貯水タンクになっていてます。
【天井崩落事故】 2004年に老朽化により談話室のドームが落下し、更に床を突き抜け地下室まで落ちると言う事故が発生しました。 |
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幸運にも居合わせた患者が部屋の壁、窓に添って椅子を並べ円形状に座っていたため死者こそでませんでしたが16人が負傷、21人が救急隊で治療を受けます。この事件が新病院への移転を急ぐきっかけともなりました。これは装飾デザイン重視の建物だった故に、耐用年数が通常より短くなっていたためとも言われます。 |
癒しの中庭
地下回廊から階段を上り地上に出ると、そこは病院の中庭。長さ500m、幅50mの光が降り注ぐ広々とした空間には、オレンジの樹が植えられ、医療スタッフの休息、また患者さん達や見舞に来た家族がゆったりとした気持ちで散歩できる様に作られていました。
ちなみにこの中庭を挟んで左半分が女性専用病棟、右半分が男性専用病棟となっていました。
【オレンジの樹】 訪れた日本人によく聞かれるのが病院内に植わっているオレンジの樹の実について。スペインでは街路樹としてもよく街角でみられます。 |
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ただ、ここの樹は甘みが無いばかりか苦く以前は病院内でマーマレードを作ったりもしたそうですが、現在は全て廃棄されています。オレンジの葉っぱをよく見ると葉っぱの根元が二重になっていて、これが街路樹、苦いオレンジの特徴です。オレンジはその昔、アラブ人がイベリア半島へ持ち込んだもので、もともとはハーレムに植えて香りを楽しんだり、鑑賞用とされていました。 |
病院に悪魔?
サン・パウ病院の建物の見どころの一つとして、病棟の上部に並ぶガーゴイルと呼ばれる奇怪な彫刻があります。
口を開けて屋根や壁から突き出ている悪魔や気持ちの悪い爬虫類、その恐ろしい光景はまるで病院とは似つかわしくない異様なものですが、実はこれには意味があります、以下。
ガーゴイルとは..
まず、ガーゴイルとは何かと言うと、西洋建築の屋根に設置される雨どいの機能を持つ怪物をかたどった彫刻のことを指し、雨の際は樋から伝わって来た水が最後に怪物の口から流れるように設計されています。
ところでなぜ雨樋に怪物が付くかと言うと、諸説はありますが、大きない意味としては魔除け。それは日本で言えば、屋根の上の鬼瓦や、沖縄の民家の門や屋根で見かけるシーサーと同じ意味を持ちます。
例えばバルセロナのカテドラルやサグラダ・ファミリアの教会外壁に並ぶガーゴイルは、聖なる教会内へ悪魔の侵入を防ぐと言う意味合いがあります。
同じように、サン・パウ病院の病棟の屋根に幾つも並ぶ不気味な怪物をかたどるそれは、病で苦しむ人達のいる病棟へ、悪魔(死神)の侵入を防ぐ役目をしています。
また、魔除け以外にももう一つの意味があって、それは雨水を口から吐くガーゴイル、その雨水は口とは逆のお尻から入るので、雨水により体内が浄化され、そして病の気を外へ吐き出すという意味合いで非常に縁起がいいとされています。
ちなみに、後で触れる近代的な新しいサン・パウ病院には、このようなガーゴイルはありません。
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病棟群2
聖レオポルド分館
建物は全てレンガ造りで、建設当時に流行したイスラム教建築とキリスト教建築の融合系のムデハル様式となっています。
この様式は市内の多くの建築物で見られるものですが、特に知られているものとしてはバルセロナの入り口スペイン広場に建つ旧闘牛場(Las Arenas)があり、ガウディの初期作品の「カサ・ビセンス」もその様式が色濃く出ています。
また、既に述べましたがバルセロナの街全体が山から海に向かって僅かに傾斜しているために、各病棟の下部は半地下の建物にし、高さが視覚的に調和するよう設計されています。
ムデハル様式
旧アレナス闘牛場 | カサ・ビセンス |
サン・パウ病院の天井 | アルハンブラ宮殿天井 |
ムデハル様式とは、スペインの歴史の中で中世の700年間スペインを支配していたイスラム勢力がキリスト教勢力に駆逐された、いわゆるイスラム勢力から国土を回復するレコンキスタの後にも残留したイスラム教徒(ムデハル)の建築様式と、ヨーロッパで広く見られるキリスト教建築様式が融合した様式のことを言います。
その特徴としては建物の壁面に幾何学模様の装飾を施している点で、主な材料としてレンガ、タイル、石膏彫刻、木彫りなどを用いて非常に精巧に細工されています。
サン・パウ病院の場合は、レンガ造りの他に、天井の細工などはアルハンブラ宮殿をイメージさせるエキゾチックな造りとなっています。一見すると西洋建築ぽくは見えますが、フランスや、ドイツなどの他のヨーロッパとは何か違う異質な物、それがすなわちムデハル様式と言う事です。
尚、モデルニスモに代表されるこの時代の建築家たちは、今までにない新し様式を見つけようとする過程の中で、既に一度は廃れた過去の建築様式であるはずのムデハル様式を、同じく過去のゴシック様式と共に多用するのがブームとなっていました。
あのガウディでさえも初期の作品「カサ・ビセンス」にはムデハル様式を取り入れていました。
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聖ラファエル分館
病棟の内部が見学できます | ピンクの可愛いタイルが |
病棟として使われていた内部を当時のままに見れるのがここ聖ラファエル分館。薄緑を基調としたタイルで内部を装飾しているその奥には、ベッドと当時のオイルヒーターが置かれ100年前の1920年代の様子が再現されています。
ところで、ここで無造作に並べられた幾つものベッドを見ると、入院患者のプライバシーについて配慮されていないのに驚きますが、実際は大きなアーチを描く空間がカーテンで仕切られ、患者それぞれのプライバシーは守られていました。
また当時使われていた手術器具や、最新の医療機器であったレントゲンなどもここに展示されています。
【X線の歴史】当時のサン・パウ病院で使われていた最新の医療機器、木製のレントゲンですがサン・パウ病院の建設が始まる僅か10年前1895年。 | |
ドイツのレントゲン博士が陰極線(電子線)の研究を行っていたところ、放電管から少し離れたスクリーンが光っていることを発見し、更に放電管とスクリーンの間に物体を入れるとスクリーンに物体の影が写ることがわかりこれがX線の発見となります。
この功績により第一回ノーベル物理学賞がレントゲン博士に授与されました。 |
聖マヌエル分館
この棟は半地下の上に2階と最もノッポな建物です | |
ドームの横の尖塔は全て陶器製 | 塔の上には中国寺院 |
左右に並ぶ病棟の一番奥に建つこの聖マヌエル分館(内部は公開されていません)が、これまで見た聖サルバドール、聖レオポルド、聖ラファエルと何か違うことに気づきましたか?
1つはここだけが他と違い2階建てとなっていること、もう一つは、各病棟ごとに塔がありますが、その上に乗るのはなんと中国寺院に似せたオブジェだということ。これは当時の流行りで多くのモデルニスモ建築に見られます。
また、この建物は銀行家ジルの寄付ではなく、市民の寄付によって建てられました
【病棟の聖人名】 キリスト教世界では一昔前までは、教会以外にも学校や病院など色々な施設や、地名などに聖人の名前が付けられました。 |
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しかし、現在ヨーロッパはどの国も宗教分離がなされていて、例えばこの後に紹介しますがサンパウ病院の裏に出来た「新サン・パウ病院」の病棟には聖人の名前は一切無く、日本と何ら変わらないA棟B棟と言う感じで素っ気ないものです。ちなみに、スペイン人の信仰心も現在は非常に希薄なもので、これも日本となんら変わりません。 |
修道女の宿舎
当時、病院で非常に重要な役割を担っていた修道女たちの宿舎 |
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生体検査室で働く修道女 | 調理場で働く修道女 |
左右に並ぶ病棟の一番奥に建つのが修道女の宿舎(内部は公開されていません)と薬局ならびに調理場となっていました。日本人の中には、どうして病院に修道女の宿舎?と思う人も多いのではないでしょうか。
それはヨーロッパでは19世紀まで看護士と言う職業が存在せず、その代わりを担っていたのが実は修道女だったからです。昔、日本も含め世界中どこでも看護とは、家族や近親者みずからが身内である病人を看病をすることでした。
現在の私達が当たり前だと思っている、専門の医療関係者が対価を得て他人を看護すると言う概念が存在しなかったからです。
Hospitalの語源
なぜ修道女が行うようになったのかは「異邦人や巡礼者貧窮者をもてなす」という、キリスト教における宗教的な精神が始まりだと言われています。
実際のところ、現在の病院(Hospital)の語源は 「もてなし」それすなわち「ホスピタリティー」から来ていることからも察しがつきます。
尚、この修道女の宿舎に向かって左に並ぶ病棟(地図の③⑤⑦⑨)の内部見学が出来ませんが、既に見学した病棟とほぼ同じなのでここでの解説は省略し次の手術棟へ向かいます。
中庭の中心の手術棟
教会の様な手術棟は2009年まで実際に使われていました。 | |
後方へ回ると一面ガラス張り | 光を最大限に取り入れるため |
中庭の中央にある建物が手術棟です。その外観、特に建物正面ファサードはまるで教会と見間違うぐらいで、屋根の最上部の両手を広げた天使像を初めとし、口を開け翼を持ったドラゴンや同じく翼をもったライオンの彫刻などで飾られています。
間違いなくこんな手術棟を持つ病院は世界広しと言えど、ここだけでしょう。
既に述べましたが、この手術棟は電気が普及の過渡期でもあり、どの建物よりも光が当たるように、病院の敷地のちょうど真ん中に作られています。
更に見ていくと..
ファサードの上部の青を基調とした美しいタイルには、名前が書かれており、一見するとヨーロッパによくあるキリスト教の聖人の名前かと思ってしまいますが、ここには出来た当時の病院の中心的な働きをした医師の名前が刻まれています。
また、サン・パウ病院を訪れた多くの見学者が驚くのは、光を取り入れるために大きく窓が取られているため手術室の中が外から丸見えになっていることですが、実際使われていた当時は、2重窓になっており外側の窓は曇りガラスで覆われ外からは見えない様になっていました。
また、窓に沿って一段高い手すり付きの場所が研修医たちの見学場所となっていました。
管理事務分館
管理事務分館を中庭から | 棟の側面を飾るモザイク画 |
*画像をクリックすると管理事務分館内の360°画像が見れ、またご自分で好きな方向にグリグリ指で操作できます!
サン・パウ病院の一般公開されている4館のうちで、最も見どころあるのがこの管理事務分館です。館内に一歩足を踏み入れると、まず目に入って来るのがピンク色の優しいパステルカラーの1階玄関ホール。9つのドームを連ねた天井のタイル装飾とそれを支える大理石の柱は、なんともメルヘンチック。
ただ、病院に似つかわしくないメルヘンチックな玄関ホールも、実はムンタネーにより巧みに考えられたもので、サン・パウ病院を訪れる人はまず、大病院の正面の威厳ある威容に緊張しますが中へ入ると一変。
そう、このピンク色の玄関ホールが、患者やその付き添いに訪れる家族の緊張を見事にほぐす役目を果たしていました。
【文字と印の意味】
円柱とドームの間に書かれている文字や、印には意味があります。
①【A1905】工事をスタートした年
②【1910Ω】工事の終了年
③カタルーニャの旗
④バルセロナ市の旗
⑤カタルーニャの守護聖人サン・ジョルデイの旗
⑥【GIL】病院建設の資金を出したPau Gil の姓名を表しています。
【文字 A、Ωの意味】
サグラダ・ファミリア | コロニア・グエル教会 |
【Α:アルファ】と【Ω:オメガ】は、ギリシア文字の順番で最初と最後の文字。英語で言えば「AとZ」、日本語のひらがなだと「あ、ん」となり始めと終わりを表します。
それ以外にもキリスト教では生から死までの全てを司る永遠の存在者であるキリストを指し、現在と違い昔は信仰心が深かったので、その意味合いも込められています。左のガウディ作品の中にも同じ【A,Ω】が見てとれます。
【サグラダ・ファミリア】★★★★★ 言わずと知れたバルセロナもっとも人気の高い観光スポットと言えば…. |
【コロニア・グエル教会】★★★☆☆ ガウディ好きの人に一番人気の建築物は、実はサグラダ・ファミリアじゃなくこの…. |
自然美と幾何学の廊下
*画像をクリックすると360°画像が見れます | |
一階の回廊入り口 | 天井に敷き詰められたタイル |
一階の右手の階段を上ると、新築された講堂へと続く廊下があります。ガラス窓にはステンドグラスがはめ込まれ、手作業で作られたであろう、わずかに起伏のあるガラスを通し注がれる揺ぐ光に暖かみが感じられます。
更に、この廊下の先にも見どころがあります。
講堂
サン・パウ病院のメインオフィスの管理事務分館の廊下は、左右の建物へと続いていますが、その建物の一番端にはそれぞれ講堂があって、正面から見て左端が「Pau Gil 講堂」。そしてもう一つ右端にあるのが「Francesc Cambó 講堂」で、どちらも一階から2階まで吹き抜けとなっています。
二つの講堂は下の部分こそ会議室として現代風に改装されていますが、2階部分にあたるアーチの梁、窓、天井装飾は管理事務分館の見どころの一つとなっています。
特に後者の「Francesc Cambó 講堂」は、グラナダのハルハンブラ宮殿をイメージしたような天井モザイクは異国情緒たっぷり。当時は、いかにムデイハル様式が流行したかが伺い知れます。ちなみに現在は観光客の見学以外にも、これらの講堂はレンタルスペースとしても貸し出され利用されています。
階段と吹き抜け
宮殿をイメージさせる階段 | 天井のステンドグラス |
宮殿をも想わす2階への階段。その階段脇にはレリーフがあり、また階段の各ステップにまで装飾タイルが施されています。また壁には最大の後援者であったPau Gil 氏の名前のイニシヤル【P】【G】更に十字架を目にすることができます。
建物の最上部の屋根まで続く吹き抜けある天井を見上げるとムンタネーが作ったもう一つの世界遺産のカタルーニャ音楽堂を彷彿させる、まるで万華鏡のようなステンドグラスに目が奪われます
【カタルーニャ音楽堂】 過剰装飾の極みと言われるムンタネーの最高傑作にして世界遺産を徹底解説! |
【ガイドツアーVSコンサートどっちがお勧め】ツアーに参加せずともコンサートへ行けば一石二鳥って本当?徹底比較検証しました! |
イスラムとカトリック
*画像をクリックすると管理事務分館内の360°画像 | |
アーチの奥にいるキリスト | 病院に礼拝堂の部屋 |
建築の専門家の間からは、サン・パウ病院の中でも一番と言われているのがこの礼拝堂の部屋。ここには建築家ムンタネーが持つ全ての建築技法が凝縮されているとも言われます。
部屋に入るとまず目に入るのイスラム建築を彷彿させる五つの馬蹄型アーチ。次にアーチの奥は礼拝堂となっていて、下の2つの扉から祭壇まで階段を上がれるようになっています。尚、祭壇には磔にされたキリスト像。
既に解説しましたが看護士が修道女であったように、当時の病院はキリスト教と非常に強い結びつきを持っていました。
リラックス作用がある青や緑 | まるで骨のようにも見える天井 |
ムンタネーが目指した理想の病院 |
あと見どころとしては礼拝堂の下の壁のモザイク。一見すると植物や人の顔や蝶にも見えますが、少し離れたところからは風になびくカーテンの様に見えるようになっていて、遊び心にあふれただまし絵となっています。
更に天井を見ると淡い黄色やオレンジのタイルが、まるで動物のあばら骨の様に波打っています。ムンタネーは人の心を癒す色として、ピンクや黄色を多用しました。
最期に、この部屋の正面の大きな窓を見ると病院の中庭が一望できます。そこにはカラフルな装飾で彩られた赤レンガの建物が幾重にも並び、緑と光の広々としたこの空間こそがムンタネーが目指した理想の病院だったんだと再認識させられます。
廊下の窓からサグラダ・ファミリア
2階の廊下 | 廊下の窓から眺めると… |
サン・パウ病院から一直線に延びるその先にサグラダ・ファミリア |
2階に上がりなにげなく廊下から外を眺めると、なんと通りの先にサグラダ・ファミリア。モデルニスモ建築を代表する二人の建築家の作品が、ここで対峙しています。
病院が建られた当時はまだサグラダ・ファミリアも生誕のファサードのみがやっと完成間近の時でしたが、これが完成した暁にはまた違った眺めにきっとなっていることでしょう。
【当時のサグラダ・ファミリアの様子】 サン・パウ病院が建設途中ながらも暫定的に開業した頃、病院の窓からはサグラダ・ファミリアがこんな感じに見えていました。当時はやっと生誕のファサードの全容が見えて来たと言うところでした。 |
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サン・パウ病院と同様に資金難でガウディは自分の財産の全てを投入、更に友人や市民に教会建設資金の寄付を求めて回ったと言われます。
サン・パウ病院とサグラダ・ファミリアこの二つに共通している点は、あまりにも計画が壮大だったのもありますが、建設資金を途中で使い果たしてしまったその無謀さも否めません。 |
見学の最後
裏口が出口 | まるで錦絵の様なモザイク |
見学の最後の出口は誰もが管理事務分館の正面口と思うのですが、そうではなく一度また中庭に出なければなりません。右手の聖ジョルディ別館の横を通って写真左、ここが出口になります。
売店 ギフトショップ
見学の最後は、ショップへとつながっています。定番物が最低限は揃えていると言う感じで日本人には特に興味深いと言う物もないかも知れません。
ガイドブックも日本語がなかったりと、充実のピカソ美術館、サグラダ・ファミリアやカサ・ミラなどに比べると少々貧弱に感じますが、病院内のオレンジとハーブを使ったジャムはここだけでしか買えないお土産でしょう。
これで、サン・パウ病院の見学は全て終わりですが、この後ガイドブックには決して書かれていない病院にまつわる幾つかの話を雑学として紹介します。
幾つかの知られない事実
ムンタネー と ガウディ二人の関係
ガイドブックにはガウディが学んだ建築学校で、ムンタネーが教授だったことから、二人の関係は師弟と解説されていますが、実は二人の年齢差は3歳。
建築学校は開校したばかりで当時バルセロナには、まだ教授と言える人材が育っていなかった事から、学校卒業したてのムンタネーが急ごしらえの教授になっていました。
なので先輩と後輩ならまだしも、これを師弟と言うのにはかなり語弊があり、その後の二人の活躍を見る限りでは、ライバルと言う方が正しいでしょう。
だし同時代のモデルニスモ建築を代表する建築家と言っても、その作風はガウディ初期作品の「カサ・ビセンス」こそ被りますが、それ以降の「カサ・バトリョ」「カサ・ミラ」「グエル公園」「サグラダ・ファミリア」のどれを見ても全く別物で、二人の作品にはモデルニスモ建築と言う枠では括れない違いがあり、それは日本から何の知識もなく、初めて来られる方でも気が付かれる程です。
また、二人の生涯を見ても、国会議員にまでなりバルセロナの上流社会の中心にいたムンタネーと、かたや鍋や釜を作る銅板機具職人の五人兄弟の末っ子として生まれ、貧困家庭の子供を対象にした学校に通い建築家として成功した後も、人間関係が苦手で社交性に乏しかったガウディ。
更には晩年サグラダ・ファミリアに没頭し「神の建築家」と言われ称賛される一方で、仕事のみで身なりも気にしないことから変人と言われたガウディ。
この対極的な生まれ、作風、生き方は、師弟、ライバルと言うようなありきたりの言葉に当てはまる関係ではありません。もちろん、それぞれが意識していなかったと思いませんが、バルセロナで同時代に活躍しながらも二人は全く別の意識の中で生きていました。
言い換えれば建築家としてエリートの中のエリートであるムンタネー、一方は我が道をひたすら歩む変わり者のガウディとなります。
尚、当時はガウディよりムンタネーの方が評価が高かったと言われますが、その理由としてはガウディの様な奇抜なものでない、いわゆる正統派だったムンタネーの作品。
それに加え重要だったのは建築の施主にあたるいわゆる資産家、ブルジョア達彼らと同じ上流社会にいたことがムンタネーに有利に働いたとも言えます。
スポンサーあっての建築家
近代スペインを代表する芸術家と言えばピカソとダリが有名ですが、彼ら芸術家と建築家には大きな違いがあります。
絵は絵の具とキャンバスさえあれば、買い手がいようがいまいが自分な好きな絵を描いて発表することが出来ます。また、その時に評価されなくても、後年で評価が上がることは画家にはよくあることです。
一方の建築家はと言うと、キャンバスや絵の具を買うのとは違い、自分でお金をだして建物を建てるなんてことは不可能。とにもかくにも仕事を施主からもらえない限り、自分の作品を形にすることが出来ず、永遠に評価されることはありません。
なので、仕事をもらう上で社交性、上流階級との繋がりが非常に重要になります。その点においてムンタネーと違いガウディは社交性乏しい上に、頑固で施主との争いが絶えず我が道を行くと言う性格はかなりのマイナス要素でした。
生涯のスポンサー、そして友人であった大資産家のグエル氏がいなければ、ガウディは世に出れず、誰にも知られず終わっていたとも言われています。
【フィゲラス ダリ美術館】★★★★☆ バルセロナから高速鉄道AVEを利用すれば1時間のフランス国境に近い街… |
「ピカソ美術館」★★★★★ バルセロナで青春時代を過ごしたピカソ。その頃の作品を中心に展示され… |
ブルジョアの自己顕示欲
病院建設にあたり巨額な寄付をしたPau Gil氏ですが、寄付の際に一つ条件を付けます。それは彼の名前(パウ)を新しい病院につけることと、病院の建物にパウ・ジル(Pau Gil)のイニシャル「P」と「G」を入れること。
見学してみると分かりますが病院の建物のありとあらゆる場所に、これでもかと言うほど「P」と「G」の文字が施されています。寄付は善意によるものですが同時に自分の名前を後世に残すことへの執着、それは自己顕示欲の表われでした。
これは何も彼に限ったことでは無く、その時代のモデルニスモ建築を建てて住んだブルジョアの典型とも言え、とにかく目立つ家に住んで人に財力や自分を誇示したそれと同じ意味合いを持つものでした。
市民の寄付の聖マヌエル別館 | PもGも無く聖人のイニシャルM |
尚、パウ・ジル氏の資金が枯渇しその後に市民の寄付により出来た聖マヌエル別館には、病院側もち一切パウ・ジル氏の名前を入れませんでした。お金は出してくれたにしても、自己顕示欲の塊だったパウ・ジル氏は、病院にとってはちょっと目障りな存在であったのかも知れません。
【話はそれますが本当に癒す力とは…】
ピカソが少年の頃に描いた「科学と慈愛 」 |
通常の病院では考えられないような凝ったサン・パウ病院の凝りに凝った装飾。記事の冒頭にも述べましたが、それは「芸術には癒す力がある」と言うムンタネーの理念の元に作られたと言われています。
なるほどそういわれるとそうなのかと納得してしまいがちですが、少し考えると何かがおかしいと思えて来ます。
まず本来必要だっが故に48棟建てるはずが、わずか10棟を建てた時点で資金を使い果たし、その後の完成までに28年も要した。その最大の原因は芸術性を追求した末の過剰なまで装飾、凝った建築によることに他なりません。
ムンタネーの代表作のカタルーニャ音楽堂や彼が手掛けた幾つものブルジョアの個人の邸宅ならば、当然それも許されると思いますが公共性の最も高い病院建設にはあり得ない話です。だれが考えても本末転倒、本当に病人の人達、困っている庶民のことを考えていたのかが大いに疑問が残ります。
建設資金を寄付したパウ・ジル氏の自己顕示欲もさることながら、ムンタネーの言う「芸術には癒す力がある」も、結局のところは自分の作品に対する建築家の独りよがり。また本当に病を患った病人が癒されるのは芸術なんかではなく、家族や友人らの愛にこそ癒されるのではないでしょうか。
サン・パウ病院の凝った建物も三日もしないうちに人間は見慣れてしまい興味も失せます。それに引き換え家族や友人達の愛は間違いなく、病人の心を癒し続けてくれるものです。
そう思うと今まさに病の中にいる患者の目の前で唱える芸術の力など、安っぽい言葉に響いてしまいます。
新サン・パウ病院
赤枠の部分が新しくなった現在のサン・パウ病院 | |
新病院の病棟は東向き | 現在の病院はこんな感じ.. |
2009年からは同区域の奥に建つ新しいサン・パウ病院が、病院としての機能を引き継ぎました。見学の際は建物群の一番奥の修道女の宿舎の横から新病院が見えます。
ただ、それは誰もがイメージする無機的な合理性を追求した近代的病院です。ちなみに548ベッド、22手術室があり、年間 3万5千人を超える入院患者と、約16万人の緊急搬送を受け入れています。
また、次で述べますが旧病院の病棟は側面の窓が全て南向きに並ぶ様に作られましたが、昔と違い完全空調にLED照明と言うこともあり、新病院の病棟は方角に縛れる事無く東向きに建っています。もし時間があれば、新旧の病院を見比べて見るのも面白いかもしれません。
スペインの医療制度
最後の最後にスペインの医療システムを紹介しておきます。
日本の健康保険にあたるシステムとしては大きく分けて2つあります。一つは国がやっている保険で、これは年金や失業保険と合わせて運営されている制度です。毎月の社会保険料を払う事により、病気の際の医療費に関しては、日本の一部負担とは違い実質無料(薬は有料)です。
ちなみに、このサン・パウ病院も公営です。ただ、この公共の保険は難点があって、かなり待たされます。手術の予約も余程緊急でなければ、半年先まで待たされるのはざらに起きます。
なので、民間の保険会社が運営している病院の保険に、経済的に余裕のある人は加入しています。ただ、民間の病院が優れていると言うわけでなく、どちらもレベル的にはほぼ同じで、日本の医療技術と比べてもほぼ同じ。
尚、大きな手術は設備も揃わない事から民間の病院では出来ず、公的な病院になります。ちなみに公的保険には歯の治療は含まれておらず実費払いになりますが、日本の様に保険制度のしばりで歯科医が簡単な処置にも関わらず、ちまちま何回にも分けて治療すると言う様な世界でも稀にみるおかしなシステムはありません。
日本、スペインどちらにも長所短所がありますが、スペインの医療制度は日本同様に世界的にもわりと上位に位置しています。
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アクセス
【最寄り駅の地下鉄 Sant Pau| Dos de Maig 駅 ➡ サンパウ病院まで】 Sant Pau| Dos de Maig地下鉄出口は2つあります。 駅の詳細はこちら。 |
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【サンパウ病院地下鉄 ➡ Sant Pau| Dos de Maig 駅まで】Sant Pau| Dos de Maig 地下鉄駅出口は2つあります。駅の詳細はこちら。 |
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【サグラダ・ファミリア ➡ サン・パウ病院】 | |
【サン・パウ病院 ➡ サグアラダ・ファミリア】 | |
フォトムービー
見どころをまとめました。
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お勧め度:18点/20点 |
住所 | Sant Antoni Maria Claret, 167 【地図はこちら】 |
URL | http://www.santpaubarcelona.org/en |
TEL | 933 19 57 40 |
開館時間 | 11月〜3月(月〜土)10:00〜16:30、(日・祝)10:00〜14:30 4月〜10月(月〜土)10:00〜18:30、(日・祝)10:00〜14:30 ※閉館: 1/1、6、12/25 |
料金 | €16、12歳以下無料 |
最寄駅 | メトロ5号線 Sant Pau|Dos de Maig(サン・パウ・ドス・ダ・マッチ)駅から徒歩約1分 |
記事は取材時点のものです。現在とは記事の内容が異なる場合もありますのでご了承ください。間違った情報、また有用新情報、分かり難い点や質問等ございましたら情報共有いたしますので、サイト内の「バルセロナ観光情報掲示板」に書き込んでください。 |
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@ | この記事を書いた人:カミムラ:生まれ京都府。1989年日本を離れバックパックをかついで海外へ。アジア、アフリカ、中南米、ヨーロッパを旅し1997年よりバルセロナに在住。。 記事最終更新 2023.11.17 |
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